幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

自分を腐らせないために

自分の強情さに手を焼くときがある

自分を好きでいられなくなる

醜い感情に包まれた自分を


きっと、常に「模範的な」「立派な」自分でいたいから、醜い感情を嫌う


誰かに向ける否定的な感情

これまでの経験からか

頑なになってしまいがちだ


気がついたら、頑なで強情な自分になっていた

すべては自分をまもるため

小さな、小さな壊れやすい自分をまもるため

強がった


人と対峙すれば

ときには

憎しみだっり

妬みだったり

恐れだったり

そんなことを感じる場面が多かった


目を背けたくなる否定的な感情

それにいったん囚われると

自分自身の足を引っ張り

コツコツと築いてきたもののすべてが奪われるような気持ちになる


自分のなかに暴れ馬がいる


いつもそれをなんとかしようとして

どうにもならなかった

封じ込めようとすればするほど

馬は暴れ、こじれていく

まるで、火に油をそそぐように


そんなことを繰り返してきた


天使は助言する


『その暴れ馬は、力で取り押さえずに、静かになるまで放っておくことです』


押さえつけようとするから

ますます暴れるのかもしれない


嫌な感情を抱いてしまう自分を同時に責めてもいるから、ますますこじれる


だから、あえて何もせず放っておく


それは放っておけば

煙のように消えていくだろう


否定的な感情は

一瞬にして強く沸き起こるが

それは長く留まるものではない


薄れていくまで

そのままにしていよう


無理に取り押さえるのは逆効果なのだ


天使はいう


『わたしたちの心は神様の心と同じもので出来ている』


神様は、この世に良いことも悪いことも存在させている

そして、それをそのまま、あるがまま存在させている


だから

わたしたちも

そんなふうにあるがままを認めるのだ


神様と同じ心を持って生まれた

わたしたちが

そのように出来ないわけがない


憎い誰かも

妬ましい誰かも

そんなことを思ってしまう自分自身も

ただそこに在ることとして

そのまま

しずかに見つめ

そっとそこから心を離してみよう


生きていれば、憎んだり、妬んだり、悲しんだり、ありとあらゆる醜い感情が生まれることは当たり前のこと


認めればいい

恥じずに


そして、しずかに離れてみて

消えていくのを待つ


強く否定的な感情は囚われてしまうので

エネルギーと時間を費やしてしまいがちだけど、それはもったいないこと


否定的な感情は

中毒のようなものだ

離したくても離せないでいる


囚われ続けていると

人生の貴重な時間を奪う


楽しく有益に使うべき時間を失わせる


もったいないことではないか?


抱き続けて、自分を腐らせないために出来るのは

無理に排除しようともがかずに

そのままにしておくこと


ゆっくりと心から消えていくことを待ち

本来の平静な自分自身を取り戻そう


いつまでも

憎しみや悲しみに

心を腐らせるより

そこから思いきって離れよう


美味しいものを食べたり

美しいものに感動したり

自分が気持ちよくなることに時間を費やすことの方がはるかに心と身体、そして人生に有益だということを思い出そう


いつまでも否定的な感情に捕まらない


人生の貴重な時間を苦しみで費やしてはいけない


手放していくのだ


わたしたちは出来る


賢く気持ちをコントロール出来る


そうしながら

また歩いていくのだ


本来の自分に立ち戻って

また生きていく

良いことを数えていますか?

あなたにとって良いこと

いま、あなたはそれを数えていますか?


天使がわたしの心に問いかけてくる


不満を募らせる日々

良いことも幸せなことも恵まれていることも

たくさんあるはずなのに

いつの間にか、それらはかすんでしまっている


足りないこと

満たされないこと

嫌なこと

そんなことに心を乱されて

そのことだけを強く意識して

不満を募らせていることをほんとうは知っていた


でもそんな自分をどうすることも出来ずに

もてあまし、ため息をついていた


誰かと比較しては

自分をつまらない存在だと思ってしまったり

誰かは持っていて

自分は持っていないことに哀しんだり

嫌なことばかり意識して

毎日を苦痛に思ったり

わたしたちは

ついそんなことを繰り返してしまうもの


心を曇らせてしまう


心は正直だから

嫌なことを意識してしまうことは仕方がない


でも

そのままでいたらいけない


そう天使がいうのだ


だから

問いかけてくる


あなたはそんなに何も持っていないの?

あなたはそんなに悲しいの?

こんなにたくさんのものを持っているのに?

こんなにたくさん与えられているのに?

家族がそばにいるのに?

友人がそばにいるのに?

親しいひとでも

見ず知らずの人でも

支えてくれているこんなにたくさんの人がいても?

その愛や力があなたを取り囲んでいるのに?

それを見ようとしないの?


それらをちゃんと数えようとしないの?


『なぜ、あなたは良いことを数えようとしないの?』


何かで読んだことがある


たくさんの財産を持っていて、家族がいて、何もかも満たされているのに

他人ばかりが良く見えて

ないものに不満を持ってばかりの人

持っていても誰かを妬む人


いまここにない何かを追い求め

悲しんでばかりいる人


かたや、傍目には財産は少なくて物質的な持ち物が少ない

それでも持っているそれらに有り難みを感じて、幸せな気持ちに包まれている人


どちらが幸せか?


どちらが幸せそうだと感じるか?


こたえは難しいことではない


心が満たされている状態の人の方が幸せそうに思える


持っているものの量ではないのだ

幸せを感じることは

何をどれだけ持っているかではない


「どれだけ自分が持っているもの、与えられていることに有り難みと幸せを感じているか」なのだ


つい自分自身をモノサシではかって見てしまう


「標準」というモノサシ


誰かと比べるモノサシ


それを満たしているかどうか


満たしていない=不幸せ?


だからいつまでも

悲しいのだ

いつまでも

悔しいのだ


誰かと比べて不満を持ち続けている


比べることで苦しむだけなら

プラスにはならない


それは幸せを引き寄せない


その思いは豊かさを引き寄せないだろう


良いことを数えよう


誰かと比べなくていいから


比べることは意味がない


何も判別せずに


無理に力まなくてもいいから

嫌なことを意識することをそこでやめてみる

そして

ただ自分が持っているもの

与えられていることに

気持ちを集中してみよう


どんな気持ち?


嬉しい気持ちになりはしないだろうか?


〇〇があって良かった

○○さんがわたしにこうしてくれた、ああしてくれた


与えてくれた


その与えられたものを味わってみよう


他に余計なことは考えなくていいから


幸せな気持ちが心に広がっていくはず


その気持ちが更なる幸せを呼び込む


更なる豊かさを引き寄せる


もう、なにも持ってないなんて

悲しまないで

泣かないで

誰かと比較して「悔しい」なんていつまでも思ったりしないで


そんなことは

もう今日からやめよう


『あなたは充分に豊かなんだ』


天使はいう


わたしは充分に豊かなんだ


そう思ってみよう


なぜなら

本来はそれが揺るぎない事実なのだから


いまの時点で

わたしは

あなたは

充分に幸せなのだ


良いことを数えよう


良いことだけを意識しよう


なにも力まずに

等身大

足しもしない

引きもしない

ここにある等身大の自分を

ただしずかに見つめる

愛で包み込む


何がいけないとかを思わず

何がいいとかも考えず

フラットな心で


ここにある等身大の自分から

いつも何かをはじめていってもいいのだ


ここから先へ進んでいく

歩いていく


これからずっと


ありのままでいい

至らなくてもいい

中途半端でかまわない

荒削りでもいい


自分の心が良いと思ったことを選びとり

ここから舵をとって

試行錯誤しながら

与えられた道を進んでいけばいい


それでいい


きちんと、なんて肩肘張らずに


ありのままで


等身大の自分で


飾らず

背伸びをせず

無理もせず

力まず


囚われない心で


ただここにある自分


いとおしい自分


生かされている自分


神様がありのままの私たちを

そのまま愛で包んでいるように


自分も自分自身を

そのまま

愛する


誰かからの愛を求めなくても

愛はいつも

ここにある

愛はいつも

そばにある


足しもせず

引きもせず


この今の自分をそのまま慈しんでいい


神様がそうするように