幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

やわらかく、しなやかに

時代の空気が変わってきている


もっとやわらかく

ゆるやかで

やさしい方向に


「恐れなくてもいい」


「ゆっくりでいい」


「ありのままでいい」


そんな言葉が多く交わされることが増えてきた


それでも私たちは

身についてしまった重くて堅苦しい習慣を捨てきれずに

行動したり

考えたりするものだ


あいかわらず

恐れたり


急いだり


ジタバタしたり


無理をしたり


ギフトを受け取ることに罪悪感を感じたり


ゆったりとリラックスをすることさえ

「そうしなければ」と力みが入る


それは

私たちが

とてもとても長いあいだ


何かに追われ

何かを求め

休むことも許されなくて

不安や恐怖にあおられて

生き抜いてきたからなのだ


このままの自分でいたり

周りに合わせず自分のペースを保っていては

周りに置いていかれたり

抗えない流れに振り落とされそうになる


自分に無理を強いて

時代の流れにのったり

周りに合わせていかないと

心身の安全が確保されないという得体のしれない思い込みに支配され続けてきた


何かが奪われる恐怖や焦り


急がなければ


何か手を打たなければ


動かなければ

という不安に取りつかれ


不足感にかられて

疲弊しながら

毎日を懸命に歩き続けてきたのだ


だけどほんとうは


私たちは

自分が思ってるより

もっとゆるやかでいいのだ


そして

充分に持つべきものを持っている


もっとペースをおとして


もっと流れに身をゆだねて


もっと身体を休めて


もっと心の重荷を下ろして


もっと自分や世界を信じて


もっとおだやかに


もっとくつろいで

毎日を生きていい


「休んでいいよ」


「ゆっくりでいいよ」


そう言われているのに

それを自分に許すことができないのが

今の私たちだ


ゆっくりと

この新しい考え方を

自分自身に落とし込んでいけばいい


長いあいだ

重く暗く心にのしかかっていた

生き抜くための心の指針や規律は

ゆっくりと溶いていけばいい


うまくできなくていい


すぐに変われなくてもいいから


もっと宇宙の采配に身を任せていい


もっと

ゆるんで

そちらに向かっていけばいい


そうすることで

私たちは本来あるべき

健やかで生き生きしたエネルギーを取り戻すことができる


重荷や縛りを解いて

自由になっていこう


もっと健やかに


もっと明るく


もっと軽く変わっていける


もっと

やわらかく、しなやかに

魂のねがい

どうしても叶わないことがあるのなら


それは自分にはほんとうは必要ではないことだから


どうしてもうまくいかないことがあるのなら


それはほんとうは自分に合わないことだから


どうしても叶わない


どうしてもうまくいかない


なぜならば

望んでいるそれらは

この人生において

はんとうに必要で、真に得るべきものではないからだ


この世界は


願えばなんでも引き寄せられるという


努力をすれば得られるという


なのに


欲しているのに


手に入らないのだとすれば


それらは

はんとうは必要ではないものだから


得るべきものは

ほかにあるからだ


ほしいと思ってたそれは


エゴを満たすものだったり


刹那的なものだったり


世間の価値観で認められたり、良いこととみなされてるだけのものだったり


だから

真の意味でみて

必要ではなかったりする


じつは

この世界は

ほんとうに必要なものをくれる


それは

欲しかったものとは

かたちは違うのかもしれない


しかし


それは手に入れようと必死だったものを

はるかに上回るほどの

喜びを得られる

もっと大きなもの


もっと最適なもの


もっと次元がちがうもの


だけど

ほんとうに必要なもの


探し回って


歩き回って


途方に暮れ


なにを追いかけ

なにを目指し

これから

なにを得ようとしていきたいのか

分からなくなったとき


目隠しされていてわからなかった

ほんとうに自分がたどり着きたかったも

のが見えてくる


がむしゃらになって

今まで得ようとしてきたものを

勇気とともに捨てたとき


すがりつくのをやめたとき


うしろを振り返るのを

終わらせたとき


それに代わるものは

姿をあらわす


この人生を生きるために

真に必要なものであるのなら


この世界はなんであっても

贈ってくれるだろう


それが

私たちにとって

ほんとうに得るべき

いまここで受け取るべきである

神さまからの

そして自分自身の魂からのギフトなのだから

うまくいかなくてもいいのだから

上手にできなくて

いつものように

あいかわらずため息をつきながらも


今日も生きている


それでも暖かな昼下がりの日差しが

今日も変わらずに

自分の身をあたたかく照らし

包んでいる


その陽射しの

光が差す方を

かなしげに見つめた


上手にできない自分を

いつも責め続けてきた


そうしても

苦しいだけだとわかっていても

それを止めることができない


物心ついたときから

その気持ちは無意識に起こり

いつの間にか根強く

そう思い込む癖がついていったのだろう


生きていくなかで

学校や職場だったり

そこに所属した社会のなかで

たくさんの人と関わり続ける


そのなかで切磋琢磨して

得るものもたくさんあるのだが


その一方で


そのとき関わった人

隣り合わせた人と

無意識に自分をくらべるようになる


自分はこの人よりもここができない

自分はあの人よりもこのことが遅い

誰かと自分をくらべ

劣っていることに否定的になる


自分はこのことがなかなかできない


いつまでも上手になれない


自分の心のなかには

いつの間にか

ジャッジマンが隣にいて


いつもなにかにつけ

チクチク横で責め立てている


『どうしてできないの?』


『まだできないの?』


その言葉が心のなかに響き渡ると

心も身体も硬直していった


一生懸命やっているのに

クリアできないことがあって

いつもおなじことでつまづき

おなじところで足踏みをしている


解決策が見つからなかったり

状況が変わらなかったり


あれこれ手を尽くしても

うまくいかなかったり


満足いかなかったり


うまくいかないときが長すぎると

頑張っても無駄なんじゃないかと

あきらめてしまうものだ


あきらめたほうが葛藤しなくて済むから


くやしかったことに

苦い思いに蓋をして

何食わぬ顔で毎日を過ごす


なのに時折

なにかをきっかけにこの苦い思いが

心のなかに浮上してくる


どうして

いつまでたっても

うまくできないのだろう…


叶わないのだろう


いつまでたっても

オーダーした

食べたい料理が目の前に

運ばれてこない


そんな悔しさや哀しさは

消えたようにしてまた浮かび上がる


蓋をしていただけだから


かなしげに暖かい陽射しを見つめる


だけど


今日も生きている


今日も一生懸命


気持ちが落ちても


だけどやっぱり


前を向こうとする自分


昨日とそれほどは変わっていない


でも

あきらめてはいけない気がして


前を向いて進み直そうとする自分が

心のなかに戻って来る


となりに

いつも横でチクチク責めていた

ジャッジマンが現れた


一つだけ今までと違うのは


今日はいつものように

トゲトゲしてはいない


『もうきみを責めないよ』


『そんな君もこれからはここに居ていいから

一緒に生きていこう』


いつものジャッジマンが手を差し出してくる


ジャッジマンが自分の手を取って


不器用な自分に歩幅をあわせ


ここからは一緒に歩いて行こうと

言って

微笑んでいる


自分で、自分を責めてしまったら

自分はどこへも逃げられないのだ


ほんとうは

うまくいかなくて傷ついた自分を

なぐさめてもらいたい


責められるのではなく、わかってもらいたい


私たちは

わかってもらえると心が安らぎ

心が落ち着く


うまくやりたくて必死なのに

どうしてもできなくて哀しかったんだよね


叶えたかったんだよね


自分に寄り添えるのは、自分


自分と和解し

友だちになり始めた日


暖かい午後の秋の陽射しを身に受けながら


硬くなっていた心と身体が

やさしくほぐれはじめる


あのとき


一緒にいた相手に

わかってくれないと怒りにふるえた


寄り添ってくれないと

凍えるように涙した


なぜ認めてくれないのと

悔しがった


自分のなかで

ときどき暴れる馬をなだめることもできず


いつも不器用にしか振る舞えない

自分を何度も見損なおうとした


ほんとうは誰にわかってもらいたかったのだろう


あのとき


ほんとうは誰に

寄り添ってもらいたかったのだろう


それは

そうしてくれなかった

その誰かではないのかもしれない


ほんとうは

自分にわかってもらいたかった


それでいいから

一緒に行こうと

やさしく言ってもらいたかったのかもしれない


前に進むために

それは必要なのだ


ジャッジせず

ありのままの自分のままで