幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

楽観すれば思いどおり。

今日もたくさんのエンジェルナンバーを見た。

エンジェルナンバーはぞろ目とは限らない。主に3ケタの数字の並びだが、あまりにも何度も同じ数字を見るので、これは明らかにメッセージだと気づく。

それくらい、天使は必死で私に伝えたいのだろうか。

今日のエンジェルナンバーを見て、いま、感じていること。


人生を良くすること。

願いはなんであってもいい。

お金持ちになりたい。

健康になりたい。

素敵な人たちとつきあいたい。(恋人、パートナー、友人なんでも)

一つ一つ挙げたら、切りがないが、とにもかくにもその全てが『豊かになる』ことだと言えよう。


豊かになるには、楽観すること。

これに尽きる。

今までは

豊かになりたい。

だから、どうすれば豊かになるのか考える。

考えてるうちに、本当に豊かになれるのか→豊かになれなかったらどうしよう。。。と心配バージョンの思考へと転じていく。

これかお決まりのパターン。

または、豊かとはどういうことだろう、と思い。

あれがあって、これがあって、それも持っていること。

自分にはどれもない。→自分は○○が不足している→自分は負け組。。。

と、これまた欠乏の思考バージョンへ転じる。


これらの考え方を繰り返しているうちは豊かさは訪れない。永遠に。


こうなりたい!望むことだけ思う。心配しそうになってきたら、私は思考をストップします。一時停止ボタンを押すように。

あとは、天使が言うようにそれら心配を手放します。

心配がいっぱい詰まったトランクを置いて、その場を立ち去るかのように。


それたけでも気持ちがとても軽くなる。心配なんか始めからなかったように。


それがいいのです。思考の中で起きることが現実となるようです。


いろいろな方の引き寄せの教えを本で学ばせていただいたが、何か願望があれば、あたかもそれが実現したかのように振る舞うといいそうだ。

その臨場感の実感の思いこそが実現への扉となる。

その意味でのエンジェルナンバー616を度々見る。

楽観すれば思い通りになる。


あれこれ頭を痛めて苦慮して幸せを探さなくてもいいなんて、とても気が楽になる。

この新しい考え方をそんなことと、と一掃するのはもったいない。


楽して幸せには、なれない、

は、今までの固定観念。


これからは


楽して幸せになる。

である。


これは怠けるということではない。


憂いや心配、悲観を全てやめることなのである。


トウモロコシを茹でる

スーパーに山積みで売られている生のトウモロコシを発見♪

わざわざ茹でるのは少々手間暇かかるのに。

懐かしくて、買って、久しぶりに茹でてみた。



大地の栄養成分がギュッと詰まった天然のおやつ。

子供の頃、夏といえば畑から穫ってきたトウモロコシを茹でてもらって、おやつのように食べたなあ。

今も変わらない蝉の声をBGMに。

その季節にその季節ならではの旬のものを食べるのは気持ちいい。


今は季節を問わずいつでもなんでも手に入る時代だけど、旬のものは本来なら今が本番の出番。

「便利、快適」も今の世の中には欠かせないことなのだけれど。

その季節を待って、実りに実ったものをいただくのも格別だ。


スピードや便利時代に慣れている私たちは物事が早く成就しないと焦りを感じてしまう。

つい、早く結果を出すことにこだわってしまう。


「速く、いつでも、今すぐに」が求められる。


コンビニエンスな世の中は快適でそれによって、恩恵も預かっている。

しかし、その流れにドップリ浸かって、スピードと効率重視な空気に、時折ついていけず、息切れしてしまうのも事実だ。


かといって、どちらかを否定してどちらかが絶対ということでもない。

ものごとには良い面も悪い面もある。


その中間に立って、バランスを取ることなのだろうか。


ついスピードを求めて焦ってしまう自分に言い聞かせる。


良いものが出来上がるには時間をかけることも必要、だったよね。遠回りでも。


トウモロコシが茹で上がるまでの時間を、まず一呼吸置いて、楽しみに待つ。


失望から希望へ

今日はエンジェルナンバーとの出会いについて思い起こしながら書いてみた。

少々長くなった。



これまでの人生を振り返る。

自分の抱えている心の苦しさからどうにかして逃れたい!と願い続ける毎日。

他人から見ればどうということでもないことでさえ、私は何もかもを苦しみの種にしていた。なんだかわけがわからず、見るもの聞くもの全てが不安で重苦しい気持ちだった。

それは鬱と呼ばれるものなのか。または適応障害なのか?


そんな自分自身から逃げたい。


これらの苦しみを克服することが永遠の課題だった。

たくさんの本を貪り読んだ。救われたい一心で。

どれも素晴らしい教えを説いていた。

しかし、その教えの素晴らしさをなかなか自分の中で活かしきれなかった。


自分から先に他人を愛せば愛される自分になる。

なのに、嫌なことをされると素直に愛せない自分。


何か叶えたいことがあるときは、いつも理想の最高のイメージを浮かべる。

なのに不信感や疑う気持ちに邪魔をされて良いイメージが出来ない。


自分を愛するとなにもかも上手くいく。

なのに、何をしても満足いく結果を出せない自分を信頼することができない。


せっかく素晴らしい教えを知ったのに自分のものにすることが出来ない…


上手く出来ないという事実がますます自分を苦しめていた。沸き出すような自分の中のダークなものをコントロールすることの難しさ。


自分はどこまで無能なのか。


友や他人は難なく、豊かな人生を謳歌しているというのに。

どうして、自分ばかりこのわけのわからない心の闇をぬぐい去ることが出来ないでいるのだろう。


教えてほしい。


不安と孤独、失望を人知れずを心に抱えながら何年も過ごした。

極めつけは母親の病気と死。


心が真っ白になった。

心の中にあったものを全て奪い去られたような喪失感。


そんな時に出会い、示されたのがエンジェルナンバー。


この存在を知ってから、私の心の不調の回復、修復は嘘のように早かった。

こんな酷い心境なのにも関わらず。


絶望的な気持ちにハマりそうな私に、エンジェルは温かく希望に溢れたメッセージを示し続ける。

数字の連続が天使によるメッセージなんて、おとぎ話みたい!なんて、心のどこかで思いながらも、私は藁をも掴む思いでこのエンジェルナンバーにすがった。


すがらずにはいられなかった。


救いようがない気持ちだからこそ、光と希望に満ち溢れたキラキラしたメッセージの言葉にすがりついたのである。


古いものを捨てて、新しい自分になる時が来ている、とそれは告げるのだ。


その意味を宿す数字を何度も目にする。


こんなに失望しているのに、新しい自分??

そして、寂しくて仕方がない私に、エンジェルは


あなたは一人ではないと言ってきた。


たくさんの慈愛に満ちた天使たちが、あなたを囲んでいます、と言う。


エンジェルは常に私に寄り添い、心の中のことをすべてわかっているようだった。


何かに怯えていれば、その恐れをすべて天使たちに委ねてリラックスしなさいと。


リラックスすれば望ましい状況を引き寄せたり、欲しいものが手に入る、と。


出来ない自分、足りない自分を責めていると、自分が自分を許すことが大事なのだと諭す。


自分自身が一番自分のことを許せていないのだ。


天界では誰もが何もかも許されているのだ。


天使や神はそんな人間を丸ごと愛してくれていて、見守っている。


自分のダメなところも丸ごと認める。嫌なことを思ってしまう自分を受け入れてあげるのだ。

なぜならそうしてしまう理由が必ずあるから。

それを一切無視して、もみ消して自分を責めてばかりいても、本当の意味で癒されないのだと言う。



それからだ。

私の心の根強い孤独感が薄れ初めてきたのは。

何をしても誰と一緒にいても拭えなかった孤独感、絶望感。


「いつも一緒にいる、いつでも助ける」と語る目に見えない存在のおかげで

不思議にも今までどうしても拭えなかった孤独感が消えてゆくのだ。


安堵のベールに包まれている。

絶対的な安心感。


これこそが私が求め続けてやまなかったものだ。


これらの事実をおとぎ話や虚構の世界と笑う人もいるだろう。

私も初めは半信半疑だった。


でも違う。



天使のメッセージを羅針盤にしていれば、長い間つきまとっていた人生の暗雲が晴れて、望んでやまなかった輝きに満ちた人生を手に出来る予感がする。


そして、実際にとても信頼できる相談相手の出現にも恵まれた。

お陰で私は暗闇からたちどころに這い上がってきた。


もう、悲しんだり、苦しんだりしていてはいけない。


これからは


自分を不快にする感情とは一切決別して、本当に幸せにならなければならないのだ。


それが本来の人間のあるべき姿だ


と天使は教えてくれている。