失望から希望へ
今日はエンジェルナンバーとの出会いについて思い起こしながら書いてみた。
少々長くなった。
これまでの人生を振り返る。
自分の抱えている心の苦しさからどうにかして逃れたい!と願い続ける毎日。
他人から見ればどうということでもないことでさえ、私は何もかもを苦しみの種にしていた。なんだかわけがわからず、見るもの聞くもの全てが不安で重苦しい気持ちだった。
それは鬱と呼ばれるものなのか。または適応障害なのか?
そんな自分自身から逃げたい。
これらの苦しみを克服することが永遠の課題だった。
たくさんの本を貪り読んだ。救われたい一心で。
どれも素晴らしい教えを説いていた。
しかし、その教えの素晴らしさをなかなか自分の中で活かしきれなかった。
自分から先に他人を愛せば愛される自分になる。
なのに、嫌なことをされると素直に愛せない自分。
何か叶えたいことがあるときは、いつも理想の最高のイメージを浮かべる。
なのに不信感や疑う気持ちに邪魔をされて良いイメージが出来ない。
自分を愛するとなにもかも上手くいく。
なのに、何をしても満足いく結果を出せない自分を信頼することができない。
せっかく素晴らしい教えを知ったのに自分のものにすることが出来ない…
上手く出来ないという事実がますます自分を苦しめていた。沸き出すような自分の中のダークなものをコントロールすることの難しさ。
自分はどこまで無能なのか。
友や他人は難なく、豊かな人生を謳歌しているというのに。
どうして、自分ばかりこのわけのわからない心の闇をぬぐい去ることが出来ないでいるのだろう。
教えてほしい。
不安と孤独、失望を人知れずを心に抱えながら何年も過ごした。
極めつけは母親の病気と死。
心が真っ白になった。
心の中にあったものを全て奪い去られたような喪失感。
そんな時に出会い、示されたのがエンジェルナンバー。
この存在を知ってから、私の心の不調の回復、修復は嘘のように早かった。
こんな酷い心境なのにも関わらず。
絶望的な気持ちにハマりそうな私に、エンジェルは温かく希望に溢れたメッセージを示し続ける。
数字の連続が天使によるメッセージなんて、おとぎ話みたい!なんて、心のどこかで思いながらも、私は藁をも掴む思いでこのエンジェルナンバーにすがった。
すがらずにはいられなかった。
救いようがない気持ちだからこそ、光と希望に満ち溢れたキラキラしたメッセージの言葉にすがりついたのである。
古いものを捨てて、新しい自分になる時が来ている、とそれは告げるのだ。
その意味を宿す数字を何度も目にする。
こんなに失望しているのに、新しい自分??
そして、寂しくて仕方がない私に、エンジェルは
あなたは一人ではないと言ってきた。
たくさんの慈愛に満ちた天使たちが、あなたを囲んでいます、と言う。
エンジェルは常に私に寄り添い、心の中のことをすべてわかっているようだった。
何かに怯えていれば、その恐れをすべて天使たちに委ねてリラックスしなさいと。
リラックスすれば望ましい状況を引き寄せたり、欲しいものが手に入る、と。
出来ない自分、足りない自分を責めていると、自分が自分を許すことが大事なのだと諭す。
自分自身が一番自分のことを許せていないのだ。
天界では誰もが何もかも許されているのだ。
天使や神はそんな人間を丸ごと愛してくれていて、見守っている。
自分のダメなところも丸ごと認める。嫌なことを思ってしまう自分を受け入れてあげるのだ。
なぜならそうしてしまう理由が必ずあるから。
それを一切無視して、もみ消して自分を責めてばかりいても、本当の意味で癒されないのだと言う。
それからだ。
私の心の根強い孤独感が薄れ初めてきたのは。
何をしても誰と一緒にいても拭えなかった孤独感、絶望感。
「いつも一緒にいる、いつでも助ける」と語る目に見えない存在のおかげで
不思議にも今までどうしても拭えなかった孤独感が消えてゆくのだ。
安堵のベールに包まれている。
絶対的な安心感。
これこそが私が求め続けてやまなかったものだ。
これらの事実をおとぎ話や虚構の世界と笑う人もいるだろう。
私も初めは半信半疑だった。
でも違う。
天使のメッセージを羅針盤にしていれば、長い間つきまとっていた人生の暗雲が晴れて、望んでやまなかった輝きに満ちた人生を手に出来る予感がする。
そして、実際にとても信頼できる相談相手の出現にも恵まれた。
お陰で私は暗闇からたちどころに這い上がってきた。
もう、悲しんだり、苦しんだりしていてはいけない。
これからは
自分を不快にする感情とは一切決別して、本当に幸せにならなければならないのだ。
それが本来の人間のあるべき姿だ
と天使は教えてくれている。
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