幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

向上心

毎日、毎日。

心のどこかで、昨日よりは今日、今日よりは明日。

もっともっと良くなりたい、いろいろなことを改善させていきたいと望み、その答えを探している。

向上心とでもいうのか。

「正しい」「良い」という「ものさし」は変わっていくもの。

社会や世間が良いと唱える基準も自分が良いと判断する基準も。


答えを求めて、外に向かう。


誰かの本を読んだり。

言葉を聞いたり。

何かが良いと言われていれば、情報やものを集める。


世の中は物や情報が溢れていて。

ときどき、「答え」を探していて疲れてしまう。


良いとされるものを、まねしてみる。

良いとされることを行いながら、点検している自分がいる。

今日はちゃんとできているか?

正しかったか?

こうしようと思うが、これでいいのか?

などなど。


「向上心を忘れたら終わりだ」みたいな考えに取り付かれているのだろうか?

でもそれは希望に満ちた向上心というイメージではない。

自己評価。値踏み。

自信のなさ。

型にはめようとする窮屈な完璧主義。


ここ数日気持ちが晴れなかったのは、そんな思いが原因だったかもしれない。


向上、成長するのは良いことなのだが、自分を肯定できなければ、ただ自分を追い込んで苦しいだけなのだ。


いつもドリーンバーチュー氏が書いた「天使のデイリーガイダンス」という本をそのときの答えを求めてページを開く。

たまたま開いたページがそのときのメッセージや答えだというのだ。


ときどき、「あなたは自分に厳しすぎることがあります」と書いたページを開く。

自分の行いの全てを正しかったかと疑って批判する心だ。


仕事にしろ。

掃除や片付けにしろ。

料理にしろ。

なんでも。


本に書いている通りにうまく出来ないから。

誰かよりうまく出来ないから。

誰かの言うとおりに出来ないから。

自分の理想や目標の基準まで追いつかないから。

パッパと出来ないから。


そんなことで、自分を見下して無気力になって、向上することを休みたくなっていたのだ。


自分のやることに自信がないと誰かの慰めの言葉を頼りにしてしまうもの。

それで自分のすっきりしない気持ちを埋めようとするのだ。

自分自身が自分に、OKを出さない限り、たとえ100人に認められたとしても苦しみは抜けない。


憧れや理想像はあっていいものだ。物事を実現するためのイメージとして。

でもそれをうまく活用したり、心で処理できないときは…?


天使はあなたは正しいことをしています。正しい方向にありますというメッセージをくれている。

なのに、自分の心もモヤモヤが晴れない。


自分のやっていることを疑ったり過小評価する癖が抜けないのだ。

完璧主義という足かせをはずせ切れずにいる。


いろいろ試行錯誤を続けてきた自分がこれから捨てようと思っていること。


これでいいのか?と疑う完璧主義。

自分を批判して追い込むこと。

苦しんで努力しなければ物事は達成できない、という重い考え方。

誰かの評価。

無理してでもやらなければ、という考え方。

「ゆるさ」は怠慢と捉えること。


自分に簡単にOKを出すのは「怠慢」なのか?

自分を許しながらでも成長はできるのだ。

天使は言っている。

苦しんで豊さは手に入らない。

苦しみからは何も生まれない。

自分の心の声をちゃんと聞いて、受け止めて。

自分に優しくしなさい、と。

古い考え方を捨て、新しい習慣を身につける。


子どものように成長、向上することは時間が必要。

自分に時間を与えることを許しなさい、と。


早く完璧なゴールに到達するのが目標ではないのだ。

その過程で様々なことを学ぶ。

遊びながら。

楽しみながら。

その過程を味わい、学ぶことも、日々生きている意味なのだろう。


きっと。