ありのままで良い
「Let it go~ありのままで~」という「アナと雪の女王」の歌を初めて聴いたときは衝撃だった。
まるで自分の気持ちを代弁しているかのような歌
自分に沢山の「義務」を課して、縛ってきたことに気付いた。いろいろなことに気をつけないと、人生は恐れることばかりだと思い込んできたからだ。
あらゆる恐れ。
世間に取り残されてしまう不安。
誰かを満足させないといけない、いつも結果を出せる自分でないと価値がない。
そういった「恐れ」を招いてはいけないと必死に対策を講じ続けて、心はいつも疲れ切っていたのである。
幸せになりたい、理想の結果を得たい。
それで、いろいろ必死に頑張っているのに、心はちっとも幸せを感じられずにいた。
どうしてこんなに何もかもが否定的だったのだろう。
世間一般の価値観があって、それに当てはまらないと落伍者の烙印を捺されると思っていたからだ。
いろいろな情報や誰かの言葉にも翻弄された。
だからこそ、「ありのままで怖くない」と歌い上げるこの歌に惹かれた。
それこそが、その境地こそが私が辿りつきたかったもの。
ありのままの自分でいい、と心の底から思える自分になりたかった。
楽になりたかったのである。
自分で自分のことを何も問題がない、それでいいと思えることって、とても安心だと思う。
それは、ガムシャラに努力して、申し分のない自分になることではない。
無理をして努力をしてもその「理想」にはどうしてもなれなかった。
だからわかった。
人生は無理をして、自分をとことん追い込んで「理想の結果」を得るためにあるのではない、と感じた。
中途半端ながらもそれを肯定して、でもだからといって、全てを諦めるわけでもなく。
ゆっくりとした足取りでも、遠回りだとしても、理想的な道のりじゃなくても、その歩みの中で何が大切かに気づくこと。
人間一人の力は小さい。
自分で何もかもコントロールしようとする考えは傲慢であること。
一人一人の小さな力をもった人間が集まれば大きなことが出来る、ということ。
一人一人は無力だからこそ助け合うのだ、ということ。
人の愛というものを身にしみて知ること。
この自分を肯定することこそが、これからは必要なのだ。
自分を肯定して、力みが抜けた状態。
ここから始める。
メダルを獲得したリオのオリンピック選手たちに共通していたこと。
「負けてはいけない…!」という力みが抜けた途端に良い試合の流れを自分の方へ向けることが出来た。
自分の全てを認めてリラックスした状態で物事に取り組めば、狙わずして最高の結果を得られるのだ。
あらゆる人たちが少なからず、どこかで自分のある部分を否定している。
その程度がひどくなれば、自分が自分であることを許せていない、肯定できていないので、何かをきっかけにして、心を病んでしまうのではないか。
天使は言う。
自分自身をありのまま、まるごと愛せば、周りの人も愛してくれる。
だから、他人に向ける大切にいたわる気持ち。それを自分自身にも向ける必要があるのだ、と。
変な力みや緊張のない穏やかな人に人は惹かれるものである。
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