幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

じぶんの魂とともに

これからは

自分の魂が望むものに沿って

生きていく時代になっていくのだそうだ


自分の魂の思いのままに


自分の心のままに


自分が

心からやりたいと思ったら


この道に進みたいと思ったら


こんなふうに生きたいと思ったら


遠慮はいらない


引け目もいらない


だれかにお伺いをたてるのではなく


だれかの目を気にするのではなく


だれかに

何が正しいのか確認するのでもなく


答えは

自分の心に聴くということ


自分の心の声に従うこと


自分にとっての正解は


誰かにとっての正解とはちがう


自分にとっての正解は

自分が知っている


だから

心のセンサーを磨いていく


埋もれて置き去りにされていた

ほんとうの自分の思いに

耳を傾けていく


ちいさな

自分の心の声に


心の叫びに


それが

自分にとって

正しく、最適で、最高の答えなのだ


生き方を変える


選び方を変える


魂の声

心の声に従うようになると


自分の行動が変わり

見える景色が変わっていく


きっと

想像以上で


自分の全身全霊が

歓びに満ちるであろう


もう

遠慮はいらない


もう

ジャッジもいらない


わたしたちは

ずっと欲しかったはずだ


心の底から


ずっと何かを求めて

これまで

それぞれの魂の旅路を歩き続けて来た


もっと

楽に生きたい


もっと楽しく


もっと心がかるく


心が踊るように

生きてみたかったはずだ


もう

恐れないで


さあ、行くんだ

顔をあげて


押し込まれた涙は

過去のものに


今まで見たことのない世界へ


でも

私たちはそれを知っていて

それをずっと探していた


それぞれの

魂の声とともに


このじぶんの魂こそが

わたしたちの最大の味方で


最大の理解者であり


最高の友


これまでも共にいて


この先も共に生きて


これからを

進んでいくために


ひとつのいのち、ひとつの体験

『あなたはそれを体験したかったのだよ』


この言葉が心の中に

不思議な気づきをもたらす


こんなにもせつなく

こんなにももどかしく

こんなにもたどり着けない


こんなにもどうにもならない

人生のなかで

経験してきた

さまざまな

自分のなかのネガティブなものたちを


わたしは体験したくて

いまここに生きているのだという


わざわざ人生のほろ苦さを味わうために?


なぜなら

そこに学びがあるから


なぜなら

そこに気づきがあるから


なぜなら

そこを越えて

その先に出会う世界があるから


そこは光に満ちていて


きっと

今までの苦しみや暗闇を

すべてくつがすほどのもの


あんなにも探し求め


あんなにも

欲しがり


あんなにも追いすがっても

手が届かなかったものたちを越えるものを

わたしたちは手にできる


過去に

それらを手にできずに生きてきて


それでも


歩みを止めずに

いま、ここを越えていったら


それらをはるかに越えるものを

はるかにしのぐものを

手にすることが約束されている


だから

あきらめない


だから

立ち止まらなぃ


だから

かなしまない


それらを体験したことも

人生の味わい


くるしくても

切なくても

いま、それを体験しているということは

いま、生きているということ


それさえも

人生の味わいのひとつで

自分への贈り物なのだ


涙がかわいて


ここから続く

眼の前の道を

ひたむきに

あるき続けていったら


わたしたちは

ちゃんと

自らがほんとうにのぞむ

世界にたどり着けるのだ


そのことを

体験したかったのだ


いま、しずかに

気づく


苦しみをあじわったり


哀しみを味わったり


さみしさを味わったり


それらさえも

体験したくて

みずから

この人生を選んだということを

ここに生まれたのだということを


誇り高い

わたしたち

ひとりひとりの人生


だれと比べることもない


すぐれているとか

劣っているとかという話ではなくて


どれもが

誇り高い

たった一つの人生の経験


だから

両手をひろげて

歓迎しよう


この人生の歓びを


体験の一つ一つを


『おめでとう、よくここまで、歩いてきましたね』


誰かが

この自分をねぎらっている


誰かが

この自分のすがたを

祝福している


そして

そのことに気づいたときから


すべてに光がさし


すべてが好転するのだ


孤独はわるくない

『あなたが寂しさを感じるとき

それはあなたが正しい証拠』


『自分にとって正しくあるあかしなのだ』


こんな言葉に出会う


人生には孤独がつきまとう


自分の人生がひとのものよりも孤独を感じることが多いように思っていた


だからいつもとなりの誰かと比べて

その人が恵まれてるように思えたし

自分の人生を否定しがちだった


なぜなら

孤独はとてもつらいからだ


そして

孤独なのがいけないことだと思い込み

孤独になりがちなことを恥じていた


しかし

そうではないのである


ひとは

それぞれ

元々は孤独な存在なのだ


自分の魂はひとつだけだし


この心も身体もひとつだけで


誰かと共有しているわけではない


しかし

私たちは

共有したがるのである


仲がいいから


仲間だから


親子だから


恋人同士だから


夫婦だから


同じように感じて


同じように思って


同じように行動すべきだと…


同じものを共有していたい


共有すべきだと


しかし

仲がよくても

気が合っても


わたしたちは

個々の

違う人間同士


すべて

共有しあえるわけではない


私たちは

この世界で生きていて

寂しくて不安だからこそ


いつも

誰かと一緒にいたがったり

行動したがったり


仲間や友人がたくさんいることの方が良いことだと思ったり


孤独なことを恥ずかしいことだと考えたりする


だから

孤独にならないように

仲間や友人や恋人やパートナーが離れていかないように

嫌われないように

自分に嘘をつくときがある


自分の本音に蓋をして

誰かに合わせ

孤独にならないようにする


しかし

そんなことを続けていると

ほんとうの自分の声に気がつくことは難しい


自分の本音

自分の感情

自分のほんとうの気持ちは

自分自身に大切なことを気づかせてくれる

自分の人生の羅針盤だ


それなのに

それらに蓋をして

見ないようにして


孤独にならないように

誰かと群れる


自分の本音に蓋をし続けると

生きている意味や

生きている実感がわからなくなるときがある


それは

いまこの人生を生き続けている私たちにとって

じつは

望ましいことではないのだ


だからこそ

孤独になることが必要なのだ


自分を知るために


自分の人生のほんとうの意味を知るために


自分に向き合い、自分の心のなかを探る時間が必要なのだ


嫌なことを嫌と言ったり


誰かに合わせるのではなく


自分の心に正直になること


そうしたことで

誰かが離れていったり


仲間や集団から離れて

独りになりたくなったり


人との違いを感じたり


孤独を感じることが多くなるもの


でもそれは正しい


そのことは正しいのだ


自分に正直に生き始めたから


自分の本音と向き合い始めたから


他の誰でもなく


自分の声を聞き

自分を大切にし始めたからこそ


隣に誰もいない孤独を感じているのだ


しかし

私たちは孤独ではない


自分と向き合い始めた自分を歓迎し

自分自身を抱きしめる


孤独を感じること


それは

私たちが正しいから


正しく自分に向き合い


これまでとは違った

ごまかさない

自分の人生を歩み始めたから