幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

歓びを思い出せ

心が叫んだ


『歓びを思い出せ』と


止めていたことは

なんだったか?


諦めていたことは

なんだったか?


「どうせ」

「所詮」

心のなかで、それが口癖になっていて

数々のうまくいかないことが心のなかで足かせになっていて



抑圧された心で


ほとばしるような

歓びのエネルギーを

失った心で


くる日もくる日も

何かを諦め

「義務」という名のルーティンをこなす毎日

が続き

心が

枯れていた


心はカラカラに乾いて

何かを欲していたのである


歓びを宿せていない心のままでは

前に進む力は生まれない


前に進む力を失っている自分をふがいなく思い

いたずらに

鞭うって責めたとしても

歓びも、力も、何も生まれない


大切なことを疎かにしていた


それは、心に歓びを宿すこと


歓び


それは


未知の場所に出かけていって

息をのむ美しい景色のなかに


安らぎに満ちた風の歌のなかに


何かを一生懸命、創っているときに


大好きな歌を心から歌っているときに


好きな音を奏でながら

誰かと笑顔でわかちあうときに


そんな数々の場面のなかで

生まれるきらめき


時間がたつのも忘れて

取り組めること


人生で出会う歓びの時間


気がつくと

夢中になれること


そんな時間を過ごすこと


そんな時間を暮らしのなかに持つこと


宝物のようなキラキラした体験をすることを

自分に許さず


「あそび」だと軽視して


「やらなければならないこと」にいそしんで


それが

「正しさ」だと思っていた


なんだか、気持ちが枯れてしまって

前に進む力を失っている


抑圧されながら生きることは、違う


生きることには

たくさんの歓びがある


たのしい、安らいだ時間を

たくさん暮らしのなかに取り入れて

歓びを求めることを自分に許そう


何かを表現して

夢中になること


笑い合って

安らぐこと


そんな瞬間が

たくさんある


だから

もう一度

取り戻したい


取り戻さなければ


心が踊り出したくなるようなこと


心が歓びに包まれること


魂の歓びを

赦す日

今日

わたしは許します


許せないでいたことすべてを

出来る限り

思いつく限り


許します


わたしは、自分自身を許します


出来ない自分を

出来なかった自分を


「正しいこと」を守りきれなかった自分を


「中途半端」な自分を


「理想」通りに出来ないでいる自分を


人にやさしくなれない自分を


誰かを憎んでしまう自分を


誰かを妬んでしまう自分を


臆病で

弱い

ずるい

自分を


強さが足りなかった自分を


勇気が足りなかった自分を


逃げてばかりだった自分を


感情をぶつけてしまった自分を


素直な気持ちを伝えられなかった自分を


モチベーションを保てない自分を


頑張れないヘタレな自分を


同じ過ちを繰り返してしまう自分を


今までこうして

どうしてできなかったんだろう

どうして、

できないんだろう…


そう言って後悔に苦しむ自分を


許します


どんな自分も赦します


そして

そんな自分でも憎まず、受け入れます


神さまが

そうしてくれているように


神さまがこれまで

日々、そう教えてくれていたように


今日は

天赦日


神さまは赦している


どんなに

どんなに

私たちが自分を責めて

裁いて

苦しんでいたとしても


神さまは初めから赦しているのだ


今日のこの日


神さまの優しいそして力強い光に包まれる


神様の

揺るぎない私たちへの愛を知る日


すべてが

最初から赦されていることを知る


明日は夏至

どちらを選ぶ?

幸せになりたいのに


幸せになりたいと思いながら

日々「努力」を重ねてきたのにも関わらず


それが歩いても歩いても

届かない日々が長く続くと

本来抱いていた気持ちが失われてしまう


そして、色々な疑念も浮かぶ


幸せになりたいのに


どうせ無理とか

自分なんか、とか

気がつけばそんな言葉を選んでいることに気づく


どうにもならないに決まってる、と決めつけたり

自暴自棄になる


苦しみが長く続くと

幸せになれることを疑ったり

幸せの実感が湧かなかったり


自分が本当に望んでいることがわからなくなるものだ


それくらい

自分の心を痛め付ける方向に長い間進んできていた、ということ


素直に

喜ぶこと

素直に

幸せを受けとることを拒んだり


難しい顔をしながら

生きる意味を考えたり


でも

それがいいことだと思って

そんなことをくる日もくる日も続けて

何も答えは出なかった


答えが出ないことに気づいたのだ


どうして

頭で難しく考えてばかりいるのだろう


存在価値とか


生きる目的とか


そう

ただ、喜びのために生きる気持ちを忘れているのだ


苦しまなければ、ものごとを得られないだとか

簡単には幸せになれないとか


豊かさを得ることが

こんなにも大変に思えてくる


誰かの役に立たなければ

喜ばれなければ

存在する意味がないだとか


自分をころして犠牲になることが

美しいことだとか

評価されることだとか

立派なことだとか


それは一体、なに…?


そんなことを目標にしながら


いつも

ありのままの自分に腹をたてていたのである


そして

そのために

ちっとも幸せを感じられなかった


立派でなければいけない、とか

間違いがあってはいけない、とか

自分自身を縛りに縛って

一歩も動けないようにして

責めて責めぬいて

その結果

無力感にさいなまれている


自分を責めて

そして

怒ってばかりいる自分

そんな自分が

ますます嫌いになる


気がついたら

何がしたいのか

何が欲しいのか

わからなくなっている自分がここにいる


のびやかさと素直さを

すっかり失っていたのである


そう

取り戻したいのは

ここに取り戻したいのは


欲しいのは


生き生きと

喜びをもって日々を生きる

自分なのである


どちらを選ぶ?


今までのように

自分自身を裁いてばかりいくことなのか


それが

本当に幸せへと続く道なのか?

考えなのか?


それとも

ありのままを

認めて

そして

許して

生きる喜びを取り戻していくのか


何が好き


何が好きだったのかを思い出したり


本当は、何がしたかったのかを思い出したり


どちらを選ぶ?


どちらが幸せ?


それは

自分の心がよく知っている


答えは

いつも難しくはない


答えは

いつもシンプルなのだ


ただ素直に

自分が望んでいることに

従えばいいだけなのだ