幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

光の筋

仕事を終え、職場の外に出た


心のなかはいつものように

色々な思いでいっぱいになっている


出来なかったことや、思うようにいかなかったことが心のなかを渦巻いていて

かき乱している


今日も

自分の感情に翻弄されて

疲れていた


焼けつくような夕方の日差しが照りつけてくる


今日も暑い1日だったと

何気なく背後をふりかえってみたら


息をのむほどに神秘的な空模様がそこに広がっていた


空が、雲が

輝いている


光の柱が

幾筋も現れて

太陽の中心から雲間を通して延びている


こんな光景は

見たことがない


『さあ』


『さあ、顔をあげて』


心にいま

何を思おうと


どんな思いを宿そうと


取り巻く世界は良くなっていく


間違いなく良くなっていく


空に延びる光は

そう語りかけてきた


さあ

顔をあげて


悲観しないで


ここには

間違いなく光がある


何が起ころうと

何が起こっていようと


この光だけを信じていてほしい


あなた方が目指すのは

この光なのだ


どうか

強く信じていてほしい


いま、見ているこの景色を

心に焼き付けてほしい


揺らいでもいい


それでも


一呼吸おいたら

不安や否定を、希望と信頼に少しずつ

置き換えて


美しい

幾筋もの光は

そう伝えていたのだ


いま、何が起ころうと


ここに新しく生まれつつある

光の世界のなかで

すべてが生かされているという事実


この光を見つめながら

希望を心のなかに改めて取り戻すことが

常に必要になってくる


くじけても

立ち止まっても

また、心を入れ換えて

この現実を変えていく


一つ、また一つ

一歩、また一歩


時には逆戻りしてるようなときも

立ち止まったままのときもある


けれども

世界は動いていく


現実は動いていく


心も動いていく


何も立ち止まってはいない


信じていたいつもの世界が

突如止まってしまって


向かう先が行き止まりのように感じるとき


そこで何もかもが終わってしまうような気持ちが生まれてしまう


でも、そうじゃない


行き止まりじゃない


ここで、終わりじゃない


もっと新しい

もっと生き生きした

もっと安らいだ

もっと愛に満ちた


もっと

すべてが信じることができる

あらゆることが

美しく新しく生まれ変わった世界が

ここに現れていくことになるのだ


だから


ここで歩みをとめるわけにはいかない


ここでは

終わらない

自然とひとつに

わたしたちは

自然のリズムに沿って

生きるのが一番いいのです


どんなリズムか?


それは

自然のなかに行ってみると

わかる


あくせくせず

キツキツせず

ゆったりと流れる時間


自然のなかに

行って

しばしその空間に身をゆだねると

取り戻せるものが

たくさんある


それを無視して

ガムシャラになったり

無理したり

流れに反発しようとしたり

無理くりコントロールしようとしたり

力をもって

壊そうとしたり


そうしたことを

しようとするから

乱れてしまう


わたしたちが

本来もっている健やかさが


そして

何をしていいのか

何に向かえばいいのか

わからなくなってしまうのだ


自然のなかへ

出掛けていって

自分のすべてをその世界にゆだねてみよう


体も

心も

きっと

元気を取り戻す


失っていた力が

かならず戻ってくる


自然のふところに

抱かれて

自分自身を生き返らせてみよう


小さく縮こまっていた

体と心が

みるみる大きく広がっていく


わたしたちは

決してちっぽけな存在ではないことがわかる


この空や大地と同じように

それらと一体となって

大きな力を宿していることがわかる


大地も

空も

雲も

花も

木も

鳥も

わたしたちを

愛してくれている


出掛けていけば

両手を広げて

愛一杯に

抱き締めてくれるはずだ


たとえ

気力が萎えていたとしても

生きる力

歩き出す力が

ふたたび

戻ってくる


かならず

戻ってくる


わたしは『わたし』になる

『エジソンやゴッホにならなくていいんだよ』


十数年前に絵をならった

その先生の詩の言葉だ


地元の中学生たちに宛てた

手紙のような詩だ


エジソンやゴッホになろうとしなくていい


君は君でいい


君は君になるのだ


そんなふうに綴っていた


あのとき

自分の描きたいように絵が表現できなくて

もどかしくて

自分の好きなことなのに

だんだん嫌いになって、いつしか描くのを

やめてしまった


自分と周りの人たちを比べて

自分には足りないものが

たくさん、あると感じていたし

何もかも浮かばれなくて辛かった


そのときに

その先生が「読んでほしい」と

自分の絵とともに封筒に入れて、送ってくれたのだ


いま、ここでまたその言葉を思い出した


なぜなら

ここに来て

いま改めて

その言葉に込められた

深い意味が

心の中心によみがえってきて

うなづけたからだ


揺るぎない「自分」「わたし」になるための

エールのような言葉


背中を押してくれる言葉


自分も、誰かもみんな


自分のなかに

何かがいつも足りないと思いながら

生きている


つねに

これではいけない、このままでは足りない、といったふうに思い詰めていて


必死で何かをかき集めようとしたり

何かを補おうとしたり


いつも

ありのままの

素の自分でいてはいけない、と思っている


ありのままの自分を表現することや

素の自分であることは

「身勝手」だから許されないこと、という認識がある


または、みっともないから

人前には出してはいけないことだと


自分のなかにある認めたくないところや

否定したくなるものが存在することは

ずっと許されないことだった


いったい、いつから

そんな窮屈なことを思うようになったのだろう


無邪気で自由な子どもの頃は

自分のことが「嫌い」なんて

思わなかった


自分を否定するなんてことも


好きなことを心のままに追いかけて

無心にワクワクしながら

毎日を楽しんでいた


それがいつしか

気がついたら

自分のことを

なんだかんだと

「点検」しはじめて

誰かにくらべてダメだとか

「目標」にくらべて

劣っているだとか

いつも自分が気に入らない…

そう感じるようになっていた


「ありのままの自分」でいてはいけない、と危惧するようになっていた


なぜなら…


目指すべきゴッホやエジソンには、ほど遠いから


誰かの

期待に全然応えられていないから


立派な人間にならなければ、いけないから


そうふるまわなければならないから


人は自分自身を否定し続けて

失望すれば

無気力になるものだ


自分に関するあれも、これも許せない


そんなことでは

なんのために

生きているのかわからなくなったり

何が好きなのかも

わからなくなったり


心のなかからエネルギーが

どんどん逃げていって


引いてはガス欠になる


何かをするにしても

「自分はこうしたい」ではなく

どうしたら誰かに、世間に

認めてもらえるのか?という考えを重視する


それは

無理して、自分以外の何かになろうとしたり

自分の本当の気持ちに蓋をして振る舞ったりするということ


わたしはこう思う、と言わずに

誰かに受け入れてもらうための言葉を探す


なぜ?


なぜ、それが正しいことなのだろう


なぜ、それが目指すべきことなのだろう


誰が決めたのだろう?


いま、この「自分」として生まれて

この世界で生き続けているのに

なぜ、この「自分」じゃいけないのだろう?


なぜ、他のなにかになろうと目指していたのだろう


ここにきて

行き詰まって

何かがわかりかけている


そして

誰かの言葉でハッとする


『気がつきなさい』


神様がいっている


『この自分以外のものになろうとせず

自分のままで生きていっていいのですよ』


今まで

何かが間違っていて

苦しかったのだ


『ちがう、ちがうんだ』


『エジソンやゴッホになるんじゃないよ』


『君は

君になるのだ』


この世界で

自分の本当に望むことを追及して

極めて

自分であることを

誇りに思って

自分であることを

楽しんで

エジソンやゴッホと同じように

いや、それに負けないくらいの

素晴らしい君に

「なっていく」のだ


あのときの絵の先生の言葉が

また力強く心にこだまする


自分は「自分になる」のだ


エジソンやゴッホではなく


別な人間になろうとするのではなく


ほかの誰でもないこの自分の心で

感じて

感じたままに

何かを選んで

自分の感性で何かを表現して


そして

この足で、しっかりとここに立っていることを感じて生きていく


生きる喜びを感じて


『それでいいのです』


神様がそう言う


わたしは、わたしのままで

何もかも受け止めて


喜びを感じて


『いいんだよ』

『OKだよ』


自分に暖かい声をかけて

生きていく


もう

誰にも

何にも

遠慮は要らない


誰かの顔色は伺わない


恐れない


自分で自ら縛っていた

鎖をほどいたら


このままで


わたしのままで


いま、ここから

道のりの続きを歩いて行くのだ