幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

亡き人への贈り物

愛する人を失った哀しみは深い


言葉で言うほど簡単には哀しみは癒えない


哀しみのなかへ深く深く落ちていき

過ぎ去ったことだけを見つめ続け、自分を責めたりもする


色を失ったような時間だけが過ぎゆく


長いあいだ、止まった時間、世界のなかに閉じ込められている


そして、自分を責めながら、自分が幸せになることを許さないでいるのではないか?


自分だけが幸せになっていいはずないとか


それは大きな誤解


大天使アズラエルの言葉だ


『亡くなった人々を尊ぶ一番の方法は、残された人々が心から楽しんでこの世界で生きることである』


亡くなった人々、離ればなれになった愛し合った人


心や魂が通じあった人同士であればあるほど

お互いが心で繋がっている


たとえ、離ればなれになっても


心は、魂は繋がっていて、発する思いや感情、エネルギーがお互いを行き来する


だから

悲しんではいけない


苦しみ続けてはいけない


それが相手にも通じてしまうから


愛する相手が悲しんでもいいのか?

大切なひとが苦しんでもいいのか?

心に聞いてみるのだ


離ればなれになるのは例えようもなく辛い

会えなくなるのは心が引き裂かれる思いだ

だから、その強い思いだけに囚われてしまうものだけれど


愛し合う者同士は

大切に思う者同士は

たとえ生身の体は離れていても

心は繋がっているのだ


心は離れることはない


離れてしまって

その人の手を握ることができなくても

抱き締めることができなくても

そのかわりに

心と魂を通じて愛や安らぎを送ることはできる


心が繋がっているから

自分が安らげば相手も同時に安らぐ


自ら、楽しくあることを選び、心に光を宿すのなら


それは、愛する相手にエネルギーとして伝わる


たとえ、どこに離れていようとも

確実に伝わる


愛するひとに伝えたいのは何か?

大切なひとに、今、どうあって欲しいか?

答えは自ずと出るだろう


愛するひとであればこそ


愛するひとのために

幸せを選ぶのだ


それが一番の供養

一番の愛のかたち


自分自身と愛する人のために


幸せであることを選ぶ

手放せた先にあるもの

私の心は言っている


まっすぐに、心に降りてきた言葉


「握っているものを手放せ」と。


気持ちのなかでずっと握りつづけ、手放すのを拒み続けているもの


このまま、変わらずに、外から身を潜め、自分の殻の中で自分自身を守っていたいと感じている「偽りの気持ち」


本当は


「どうしても恐れや哀しみを癒すことができない」からなのではない


自分で哀しみを手放そうとしないだけなのだ


このまま、ここにうずくまっていたい、閉じ籠もっていたい、と心のどこかで思っている


変わらずにいて、同じ場所に留まり続けるのは「楽」かもしれない


波風が立たないかもしれない


でも、このままでいても

留まり続けていても

もう、何も生まれないのだ


それらにすがっていれば

そのうち何かがもたらされると思い込んでいるのは

錯覚なのだ


わたしの魂は

目を覚まし、自分と周りをよく見つめて、真実を感じるように訴えている


変わることを拒み続けていることは、わたしの本心ではない


いま、前に進んでいくために

わたしを後ろへ引っ張るものすべてを手放すように強く訴えている

そして、どこかへ追いやっていた、変えていく勇気を呼び覚ますように訴えている


わたしを幸せに導くものは

過去の過ぎ去ったものの中にはない

私のそばを通りすぎていく人、離れていった人の中にもない


わたしが追いすがり、執着し、哀しみ、求めるものの中にはない


わたしを幸せに導くものは


いま、目の前に示されて見えている、前へ進む道だけ


そして、わたしの心の奥にあり、大きなエネルギーと繋がる場所、湧き出る泉のような場所

それが、私に、安らぎ、満たし、すべてをもたらしてくれるという


だから、誰かが私に変わって幸せにしてくれるのではない

何かが私に変わって幸せにしてくれるのではない


私自身の幸せ、求めるものは

誰に聞いても

何にすがっても

教えてくれない


そういった何かへの依存の中で見つけようとしても、得ようとしても、なにひとつ見つからない


私自身に聴き

私自身が心で感じ、決めるのだ


何かに「すがる」依存の日々は終わるのだ


終わらせるのだ


「偽りの衣」を脱ぎ捨てて、寂しさのなかで、いま、ここに新しい自分を感じている


まだわからないけれど

まだ寒くて、心細いけれど

まだ道は暗く感じるけど


天使がそばにずっといてくれて、示してくれる


勇気を持って、殻のなかから外へ出るように


自分をいかし、そのエネルギーを味わい尽くすように


幸せを掴むために前だけを見て進むように


示し続けてくれている


哀しかったものたちよ、もう、さようなら


わたしを苦しめたものたちよ、もう、さようなら


長い回り道のなかで、いろいろと教えてくれて有難う


いま、ここで前進へと決めたなら

いまはただ、それだけを見つめることにする


後へ引く迷い、思いはすべて断つ


そして、天使がまた示す


『もう、あなたのなかで「最悪の状況」は終わりました』


『なにひとつ、恐れる必要はない』、と

変われる

生きていて

いま生きていて

胸いっぱいに

身体いっぱいに

哀しさや寂しさや憎しみ、様々な心をかき乱す思いを抱え

どうしてよいかわからなくなったりする時がある


長いトンネルのなかを

なすすべもなく歩き続け

この苦しみや哀しみがいつから始まったのかも忘れ

最初から哀しみに包まれて生まれてきたかのような錯覚さえ覚える


これが当たり前?


生きていく世の中は

これが当たり前だから

この苦しみを抱えたまま歩き続けなければならない


そんなふうに思い込む


『思い出して』


必死に何かが訴える


『悲しみのままでいいはずがないよね?』

『苦しみのままでいいはずがないよね?』

『かたくなに、変わらずにいて、変われずにいて、いいはずがないよね?』


変われる


変わらなければならない


安らぎや嬉しさ

心が柔らかな光に包まれている自分こそが本来の自分のあり方なのだ


『思い出して』


それは無垢な子どものころだったり

学生のころだったり

若い遠い時代に


夢中になって胸をときめかせたこと


安堵に包まれていたこと


何も疑わなかった


そんな気持ちをもう一度思い出してみる


いま、ここにいる自分がもう一度、その気持ちを思い出す必要がある


苦しみで心をいっぱいにしたままでは

大切なことが見えない


失ったことばかり

足りないことばかり見つめて苦しんでいると


いかに自分が多くのものを持っているかを忘れている

たくさん、与えられてきたこと、そして今も与えられていることを忘れている

たくさん、愛されてきたこと、そして今も誰かに愛されていることを忘れている

たくさん、許されてきたこと、そして今も誰かに許されていることを忘れている


それらたくさんの「愛」を忘れている


それでもいいのか?


その大切なことを

今一度かみしめるために

ここに抱える苦しみとは一切、決別しなければならない


苦しみを見つめることは

思い出すことは

終わったものに

過去の記憶に

あたかも、今なお、直面しているかのように感じる


終わった苦しみ

終わった哀しみ

終わった憎しみ


もう終わったのに

まだ、そこにいようとする


また、そこに向かおうとする


懲りもせず、捨てきれずにいる


行く先を決めるのは自分自身だ


決められるのは自分自身だ


終わらせるのか

そこにとどまるのか


この世界は私たちにいつでも「yes」といっている

新しいチャンス

新しいもの

新しい環境

新しい出会い


自ら行く先を決断し

心を開けば

新しいものが与えられる

すべてが与えられる


勇気をもち、まといつく苦しみを手放し、「yes」を選んだ者が

苦しみ、哀しみから解放される


前に進んでいるのだ

「終わり」があっても次々に「始まり」は生まれる


「始まり」は与えられる


すべての苦しみを捨て

ただ、すべてを大きな流れにゆだね

信じて「始まり」に飛び込む


心を開かなければならない


それを許すのは、いつでも

他ならぬこの自分自身なのだということ


私たちは

何も失っていない


すべてが次へ

すべてが前に進んでいるだけなのだ


たとえ、もう愛したひとが目の前にいなくても


たとえ、愛した場所が遠くに消え去っていても


私たちは何も失っていない


何も失っていない


神様はなにも奪わない