幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

人生のこたえ

人生はよく出来ている


人生はそのこたえさがしの旅路である


私たちはなにもわからずに

人生の旅路のなかで起きた出来事に


心を踊らせたり


失望したり


ときめいたり


つまづいたり


なぜ自分はいま

この人生を歩いているのだろうとか


だれかと自分をくらべて

他人の方が恵まれてると思ってみたり


この出来事はなぜ起きたのだろうとか


自分の人生に意味はあるのかとか


いろいろな思いがよぎり

それでも歩みをとめずに


心のどこかで

その答えを知りたくて

ずっとずっと

歩き続ける


理不尽な思いをしたり


思いが報われない日々が続いたり


自分の人生に意味を見出すことが難しくなる


生きている意味や


どこに向かっているのか


ほんとうの答えを知りたくて探し続ける


人にたずねたり


書物のなかに答えを探したり


答えがどうしてもわからなくて


出来事に悲観して

自分の人生に意味を見いだせなくなる


なにかを諦めたまま

どうせ自分の人生はそんなものと思ってみたり

輝いている誰かの人生とは違うのだと思ったりする


それでも


答えがわかる日はかならず来る


そして

その答えがわかったとき


自分の人生の奥深さに気がつくのだ


自分の人生は

ほかのだれかが決めたシナリオで生きるのではなく


その決められた正しさを目指すのが

目標なのではない


正しい完璧なレールから

外れることは悪なのではない


期待されることが出来ないのは

間違いではない


人生は

生まれるまえに

自分自身が決めてくる


こんなふうに生きたい


こんなことをしたい


こんな思いを叶えたい


そのために

こんな経験をしたい


そのどれもが

いまの自分の人生をかたちづくっている


だから

大切なのは

自分のこころにしたがって


なにがしたいのか

なにがしたくないのか

自分のこころに訊きながら


自分の人生を生きていくことなのかもしれない


だれかに言われるままではなく


だれかの顔色をうかがうのではなく


誰かに

「正しい人生を教えてください」と聞くことでもなく


理解できない理不尽な

かなしいできごとが起きても


それは人生でなにかを叶えていくために起こる大切な経験で

人生を辿っていくプロセスのひとつなのだともいう


人生を否定したくなるときがあっても


じつは

人生に起こることに

無駄なもの

否定すべきものはないのだという


そのことが腑に落ちたとき


まるで霧が晴れるかのように

自分の人生の意味がわかる


そのこたえは

旅路をたどるなかで

ひとつひとつ明かされていく


神さまの目かくしがはずれ


人生のなぞ、人生のこたえが

ひとつずつ明かされていったとき


起きた出来事の意味がわかり

自分の人生を肯定することができる


人生で起きた数々の点のような出来事が

つながりはじめ


ひとつの線で結ばれていたことを理解したとき


私たちは

自分の人生の奥深さを目の当たりにする


それが

寸分のくるいもなく設定された

自分のためのシナリオであることにきづく


どんな出来事も意味がある


今はわからなくとも


探しつづける、迷い続ける私たちに

神さまが答えをくれる日が訪れる


歩き続けよう


探し続けよう


そして

自分の人生を決して

否定してはいけない


自分の人生を否定したまま

生き続けることは

大切であるはずの自分のエネルギーを

殺し続けること


そんな

もっともかなしいことを

してはいけないのだ


他人の人生と

自分の人生はくらべられない


私たちの人生は

完璧に設計された

宝探しの地図のように


誰の人生も

そしてどんな人生も

すべてが奥深く

意義がある


私たちが道に迷わないように

踏み外さないように

大きな力が私たちをつねに支え

守っている


私たちが

自分の人生に秘められた真実の意味を理解して

自分の人生をいとおしく

大切に考えることができるようになったとき


そこからはじめて

ほんとうの黄金の道が拓けていくことに

なるのだから


自分はちゃんと持っている

他のだれかが満たされているのを見て

心がざわつくとき


身近なだれかに対してや

SNSのなかで


他のだれかが持っているものを

自分が持っていないと気がついたときに


そんなふうに感じてしまう


心はいつもそんなパターンを繰り返す


しかし

だれかが羨ましく感じて

自分が小さくつまらなく思えるときというのは


きまって

自分がすでに持っているものに

自分が気づいてあげていないときなのだ


それは

実はたくさんあるのにもかかわらず

取るに足らないものとして

扱われる


自分の心は

「気づいて!わたしはこんなに持っているよ」と

訴えながら

教えてくれているのに


ほんとうは大切であるはずの

自分と自分自身のものに

背を向けているから

心は悲しんでいるのだ


だれかが羨ましくなって

悲しくなるとき


自分だってちゃんと持っているのだ

ということをあらためて思い出そう


だれかがもっているものを

自分は持てていないときはある


しかしその代わり


だれかが持っていなくても

自分が持っているものがある


モノでも

個性でも

才能でも


なんであっても


だれかが持っているものと

自分が持っているものは

同じものではないかもしれない


かたちも違うかもしれない


量も違うかもしれない


けれど

同じだけの

価値と誇りがあるのだということを

忘れないでいよう


持っているものの大きさだったり

たくさん持てていることが大事なのではない


大事なことは


自分が自分のもっているものに

ちゃんと気づいてあげて

それを大切にできるかである


真実のゆたかさは

そこにある


自分の大切なものが

仕舞われているその宝箱を思い出そう


その宝箱のなかには

思いの外

たくさんの宝物があるはずだ


そして


その宝箱の埃を払い

蓋をあけて

ちゃんと確かめよう


大丈夫

ちゃんと持っている


自分にだって

ちゃんとある


信じて今を生きる

もしも今が

冷たい雪が降り続く夜であっても


どこへ向かっているかわからず

さまよい続ける日々を送っていても


切り離されたような孤独を

味わっていたとしても


雪は降り止み

やがて陽の光が差し込んで

夜明けはやってくる


ここでは終わらない


こわれた何かが

もう戻らない何かが

失われたままで

ここで終わるわけではない


今はまだ何もわからなくてもいい


すべてが理解できなくてもいい


苦しみも悲しみもまだ癒え切らなくても


何も信じられなくなっていたとしても


それでもいいから


希望の光が差し込むのを

信じていよう


疑わずに


悲観せずに


それは必ずやってくる


冷たい雪はやがて降り止む


いま生きているなら


光は必ず訪れる


それは必ずやってくる


今はまだ

暗闇のなか

雪が降り止まなくても


そのことを思って

心のなかに小さな光を灯してみよう


わたしたちは

確かに大きな力に見守られている


心に小さくても

わずかな光を灯したときから


望む世界へ向かう

エネルギーは

そこへ向かって動き出す


信じていよう


私たちは

今感じている暗闇から

必ず抜け出すことができる


望む世界へ向かっていける


長いあいだ

抜けられないと思っていた暗闇であったとしても

抜け出すことができる


信じて

歩き続けるならば


機が熟せば

光が差し込むときはやってくる


それは約束されているのだから