自分はちゃんと持っている
他のだれかが満たされているのを見て
心がざわつくとき
身近なだれかに対してや
SNSのなかで
他のだれかが持っているものを
自分が持っていないと気がついたときに
そんなふうに感じてしまう
心はいつもそんなパターンを繰り返す
しかし
だれかが羨ましく感じて
自分が小さくつまらなく思えるときというのは
きまって
自分がすでに持っているものに
自分が気づいてあげていないときなのだ
それは
実はたくさんあるのにもかかわらず
取るに足らないものとして
扱われる
自分の心は
「気づいて!わたしはこんなに持っているよ」と
訴えながら
教えてくれているのに
ほんとうは大切であるはずの
自分と自分自身のものに
背を向けているから
心は悲しんでいるのだ
だれかが羨ましくなって
悲しくなるとき
自分だってちゃんと持っているのだ
ということをあらためて思い出そう
だれかがもっているものを
自分は持てていないときはある
しかしその代わり
だれかが持っていなくても
自分が持っているものがある
モノでも
個性でも
才能でも
なんであっても
だれかが持っているものと
自分が持っているものは
同じものではないかもしれない
かたちも違うかもしれない
量も違うかもしれない
けれど
同じだけの
価値と誇りがあるのだということを
忘れないでいよう
持っているものの大きさだったり
たくさん持てていることが大事なのではない
大事なことは
自分が自分のもっているものに
ちゃんと気づいてあげて
それを大切にできるかである
真実のゆたかさは
そこにある
自分の大切なものが
仕舞われているその宝箱を思い出そう
その宝箱のなかには
思いの外
たくさんの宝物があるはずだ
そして
その宝箱の埃を払い
蓋をあけて
ちゃんと確かめよう
大丈夫
ちゃんと持っている
自分にだって
ちゃんとある
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