幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

悔しさと、寂しさと

悔しい、

淋しい、

と思わされることがあった。


その気持ちをなんとかぎゅっと押し込めて

ないことにしよう

大人の振る舞いをしよう

なんて無理なことだった


昔から

ことあるごとに思わされてきた、これらの感情


あのときも淋しかった


自分だけがその場から浮いていて

誘われなくて

声をかけられなくて

のけ者にされて

輪のなかに入れなくて


自分に何かが欠けているから

そういうことをされるのだ、と思い込んだ


あのときも

悔しかった


そんな気持ちを圧し殺して

そういう気持ちを感じないふりをしたり

全然平気なふりを装った


「スマートな大人」として

振る舞わなければいけなかったし

「子どもっぽい」と思われるのも悔しかったし


でも

それで消えないのだ


似たようなことが起こる度、

そのときのように

いたたまれない気持ちになる

でも

そのときのように黙っていなかった


気持ちをぶつけた


子どもじみていたかもしれない

何もなかったことのように

黙ってやり過ごしさえすれば

波風も立たなかったかもしれない


でも

今度は

できなかったのである


これで良かったのか?

これまでのように

淋しい気持ち、高ぶる気持ちを押し込めて

「いい人」を演じきれば良かったのか?


でも

いずれにしても

悔しい、淋しい、そんな気持ちは心の奥にまた閉じ込められていっただろう


神さま

子ども染みた振る舞いをしましたが

本当の気持ちをぶつけました

悔しくて

寂しくて

悲しかったのです


「悔しかった」


「淋しかった」


「悲しかった」


あのときの

自分も一緒に口を揃えた


これらの言葉は

今日の、秋の澄んだ空気のなかに溶け込んでいった


大切なのは


蓋をしたくなるような

でも、正直な、ありのままの気持ちに

自分自身が寄り添ってあげてもいい、ということ


どんよりとした曇り空だった今日の日が

暮れはじめた頃


綺麗な赤紫の夕陽で

空が美しく染まっていた


なにがあっても

いい


何を思っても

いい


この世界は様々なことを思い、経験をするところなのだという


「立派な」人間でないときがあっても、それでいい


むしろ


「立派」でないときの方が多いのかもしれない


そんなときでも

見上げた空は

いつでも美しく染まる


暗く厚い雲が心を覆ってしまうようなことがあったとしても


本当は

美しい、そして気高くて強い心を持っているのだということを

決して忘れることのないように


思い出させるように


私の姿

どんな自分になりたいか

未来に

どんな自分になっていたいか


目を閉じて

心に浮かぶ


それは


風に吹かれながら


広い広い緑に包まれた澄んだ空気のなかに

佇む自分がいる


空は高く

空気は澄んでいる


風を従えて

森の木も

空の光も

味方につけた

輝き、愛に満ちた自分が

柔らかな風を受けて

そこに立っているのです


空に

風に

木々に

そして

花たちに

教えられた優しさと強さを

誰かに向けて

優しく説き明かすために


風を受けて

凛として

そこへ立つ


それが私

向かっていきたい私


愛とは何かを

表現していくために


教えられた数々の愛を

誰かに向けて

何かに向けて

心を解き放していくために

ここに在る


それが私


他のだれでもない

他のだれもなれない

この世界で

唯一無二の存在


未来の

本来の

私の姿

自分を包む力

今日も一日が終わろうとしている


どんな日だったであろうと

どんな自分だったであろうと

神様は

『今日もよくやりましたね』

『頑張りましたね』

と言ってくださる


その証拠に


こんなに美しい夕焼け空を

毎日のようにプレゼントしてくれる


たとえ


心がささくれていても

心が萎えていても

どうしようもない気持ちに包まれていても


神様は1日の終わりに

こんなに美しい空を見せてくれて

私たちの頑張りを讃えてくれるのだ


『あなた方はこの空のように

美しい存在なのだよ』と

忘れていることを思い出させてくれる


たとえ


自分自身で

どんなに何かを否定していてもだ


何かが、思うようにできなかったとしても


頑張りが足りなかったと悔やんでいたとしても


何かに行く手を阻まれて

やるせない気持ちでいたとしても


うまく前に進めなくて

こんなふうに

自分や周りや何もかもを

否定して

叫びたくなっていても


ふがいなくても


丸ごと

包んでくれるのが神様の愛なのだ


こんなふうに


神様のように


わたしたちも

自分自身のことを丸ごと包み込む愛を持っている


だから、神様がしてくださるように


自分で

自分のことも

丸ごと包んであげよう


自分の「認めたくないこと」を

嫌いな面を

少しでもいいから認める


それらに対して、かたくなに拒絶していた

心の結び目を

少しだけ弛めれば


見えている世界が

すこし

変わっていくかもしれない


どんな自分でも

どんな状況でも


丸ごと包む

「それでも、いいよ」

と自分に言ってあげる


頑張っても

そのときに叶わないことはある


それを

もっと頑張れたはずだ

とか

努力が足りなかったからだと

いつもしているように責めることをやめてみる


「努力しなかった」でもないし

「努力が足りなかった」のでもない


いつも

どんなときも

わたしたちは

そのときのベストを尽くしているのだ


意識的にも

無意識にも


今の

今、ここにあるどんな自分も大きな心で包む


なんだか、少しだけ、安心する


自分を否定しまくることは

逃げ場を塞いでしまう


『いいんだよ』

『頑張ったね』

そんなふうに自分に声をかけたら


今のありのままの自分自身でいられるのだ


なんであろうと


今の自分を認めて

そこからだって

歩みを進めていけるのだから


自分を自分で愛することから

全てがはじまっていく