幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

ありのままを抱きしめる

わたしは旅をしている


わたしたちは旅をしている


人生という旅のなかで


それは

自分をほんとうの意味で愛し

受け入れていく「旅」だと言えよう


わたしは


わたしたちは


ほんとうのところ


今の自分を受け入れられないから

何かにつけて辛いのだろう


様々な場面で

自分が気に入らない


自分のことが気に入らない


自分のいる場所が気に入らない


だから

苦しくて

もっと良くしたい


自分から

自分の今いる場所から

ここから逃れたい、と感じてしまう


このままではだめで

逃れたくて

そして

今よりもっとよくなりたくて

昨日も

今日も

次の日も

その次の日も


毎日、毎日

努力を重ねているのに


心は満たされず

現実に満足がいかず

いつも

満たされたくて

心が枯れ続けているのだ


なぜなら

今の自分を受け入れ

認めることが

辛くてできないから


自分をさばき

自分の置かれているところをさばき

人をさばき


そうしているうちは

心に安らぎは訪れない


心は永遠に

満たされない


いま、それぞれの人生において

そのことに気がついて

自分を受け入れることの大切さを

知っていくときが訪れている


人生のなかで

ほんとうの意味で自分を愛し

自分を受け入れ

そしてそのことにより

幸せと安らぎを手にする旅を続けているのだ


もう


「ないもの」を追いかけて

自分をさばいて

苦しみ続けることは

出口のない迷路に迷い込んでいることなのだと気づいていい


今の自分を抱きしめよう


なんであっても


どうであっても


みっともなくても


何が出来て

何が出来ていなくても


いろんな自分がまぜこぜでも


それがありのまま、尊い自分と自分の人生なのだということを知ろう


受け入れて


ありのまま見つめて


それでもいいのだ、と

自分で認めて

ラクになって


そのことにより

心に安らぎが広がれば


見える景色が変わる


現実が変わる


光が差し始める


きっと、予想もつかないほど

安らぎと光に満ち足りた世界が目の前に広がるだろう


きっと幸せになれる


さばいて苦しむことを

すこしずつやめていきながら

すこしずつ受け入れていこう


ひとつひとつ

変わっていこう


幸せになろう


幸せになるのだ


ほんとうの気持ち

唯一無二と呼べる一人の友と出会った


唯一無二の大好きなことを始めて

ほどなくして

その友は自分の前に自然なかたちで現れた


その人と

話せば話すほど

ともに共感するものがうまれ

こんなにも響きあう人が

この世の中にいるものだと

驚いた


その人と

大好きなことをしながら

一緒に過ごす時間は


まるで

ずっと行きたかった場所へ出かけて行って

深く満たされるようなものだった


語り合えば合うほど

喜びが泉のようにコンコンと湧くように

心が満たされていた


しかし

そんな友とも

喜びに満ちた思いだけを

保ち続けることはできなかった


あることをきっかけに

その人に対する信頼や愛情が揺らいでしまうことが起きる


それは

何気なく話した自分に対する彼女の言葉だったり


何気なく取った彼女の行動だったり


彼女には

ずっと、自分が抱いている「揺らぐことのない信頼」を

裏切って欲しくなかったのである


ところが

裏切りと思えることが起きて

自分の心は

彼女への小さな憎しみへと変わり

会うことも、連絡を取り合うことも

いつの間にかなくなっていった


「どうして、あんなことを言ったの?」


「どうして、(自分を裏切って)あんなことをしたの?」


悲しくて、寂しかった


ほかの誰よりも信じていたのに


心のなかの不信感とわだかまりはどんどん大きくなり消えない


ゆるせない


ゆるさない


こんな言葉が

彼女をおもうたびに

浮かんでいた


でも


ほんとうは大好きだったのだ


憎むほどに


ゆるさない


ゆるせない


そんな気持ちが消えないまま


自分はほんとうの気持ちを

ずっとごまかし続けて過ごしてきた


ほんとうは惹かれない仕事をしていたり


ほんとうは付き合いたくない人たちと一緒にいたり


ほんとうは関わりたくないコミュニティに所属し続けたり


ほんとうは話したくないことを話していたり


ほんとうは、いやなのに

平気なふりをして


そうすることで

自分は何かを守ろうとしてきたのかもしれない


ほんとうに響き合う友に背を向けていたり


ほんとうにやりたいことを無理だと諦めていたり


でも

ほんとうの気持ちに

嘘をつき続けることなんて

できるわけがない


ほんとうに向き合うべきことを無視して

ほかの人生を生きようとすることなんて

続くわけがない


『あなたが進むのは、その道じゃないよ』


『あなたが付き合うのは、その人たちじゃないよ』


人生はやさしく

自分を諭してくれた


じつは、心が一番知っているのだ


誰にきかなくても


ほんとうの気持ちは誤魔化せない


ほんとうのことは自分が一番知っている


自分を誤魔化して

間違った道を

まるで行くべき道のように

歩き続けていると


あるとき

その道は行き止まりになる


そのとき、なぜ?と叫ぶだろう


うまくいかない現実を憎んで、憎んで


でも

人生のみちを辿りながら

その「失敗」が教えてくれるのだ


『ほんとうに進みたいのは

この道じゃないでしょう?』


『ほんとうにやりたいことは

これじゃないでしょう?』


『ほんとうに一緒にいたい人は

この人たちではないでしょう?』


そのことに気が付かされたのに


ゆるせない気持ちを

自分でどうすることもできないまま


見返すことも避けていた

数年前にやりとりした

彼女とのメールをふたたび開いた


その言葉の数々に

不用意に涙があふれてくる


なぜ?

憎いのに


そんなことを言っても


やはり、自分は

この人と一緒に過ごすと

まるで帰るべき場所へ

帰ってきたかのように感じていた


彼女と過ごすと、時間が止まっているようだった


それは

至福と呼べるものに近かった


感じるものも

好きなものも

共感することも

憎むものも

目指すものも

志すものも

まるで自分を見ているかのような相手


その人を

きっとソウルメイトと呼ぶのだろう


今まで、ずっと


ほんとうの気持ち

ほんとうの自分

ほんとうの相手に背を向けて

長い間、旅をしていたのだろう


憎い、だけどそれだけ大好き


裏切りだらけの世の中に

悲観していたとき


神様に

「ほんとうの友と出会わせてください」

とお願いした


悲しい思いをさせられた相手たちを超える

誰かに会わせてほしいとお願いした


しかし、既に


神さまは

得難い一人の友という贈り物を

自分に与えてくれていた


紛れもなく

「憎かった」彼女だったのだと


ほんとうに欲しいものは

じつは近くにある


ほんとうに欲しいものは

じつはもう 手にしている


ほんとうに会いたい人は

既に出会っている


そのことに気がつくまでに


人は長い時間

遠く遠く

旅へと出かけ


またここへ戻ってくるのかもしれない


心のなかに

輝く宝石を見つけて


くらべること

私たちは自然に

ものごとを

比べることをやっている


例えるなら


とても小さな

自分の庭の片すみで

一輪の小さな花を種から育て


その人は

そのことで、ささやかながらも

心を満たしていた


雨が降ったり

吹き飛んでしまいそうな嵐の日も

乗り越えて


見守り続けて


種から芽が出て

葉が少しずつ育ち

待ちに待った一輪の蕾みがついて

小さな花びらが開きかけたとき


その人は

ひそやかに喜びをかみしめて

その花を

いつまでも愛おしく見つめていた


種から花びらが開くまで

大切に見守ってきたことを

その人はとても満足して

そのことを誇りに思っていた


ところがある日


その人は

とても広いたくさんの花が咲き乱れている庭で

華やかな薔薇の花をたくさん育てている人に出会う


その庭と花たちはとても見事で

たくさんの人からの注目の的となっていた


そのことを知ってから


その人は

それまで大切に思ってきた

自分の小さな花と庭や

過ごしてきたその日々が

急につまらない、ちっぽけなものに感じてしまうようになった


こんなことは

時折起きるものだ


自分よりも多く何かを持っている人が現れたり

自分よりも大きなことをこなしている人のことを知ったり

自分よりも何かが上手くできるように見える人が現れたりして

その人が多くのひとに注目されていると


知らず知らず

そのことと比べて


自分のことがつまらなく思えてきたり

自分は足りない

自分は持っていない

自分はまだまだだ、と感じるようになり


心のなかに

にわかに自分を否定する暗雲が現れる


となりに

目の前に

自分にないものを持っている人や

自分よりも何か優れている人が現れてから


それまで大切に思って、誇りに感じてきた

自分のものなのに

それらが小さく消えてしまいそうになるとき


しかし


どんな誰かと出会ったところで


決して、自分の持っているものや

自分の持っているチカラ


自分がひたむきに費やしてきた経験や日々が消えてなくなるものではない


比べることは


ときに

自分の心を曇らせ

自分の足を引っ張り

破壊的になる


比べなくていい


それなら

比べることなんて

意味を持たないだろう


この世界は広くて

いろいろな人がいて

いろいろな場所がある


そのなかで

その誰かや何かと

つねにくらべて

一喜一憂している私たち


でも

人にはいろいろな持ち味がある


神さまが与えてくれて

自分も愛している「個性」だ


その広い広い世界の中に


「ささやかで小さな」

自分が存在している


そして

淡い消えそうな光を灯している


だからといって

それが本当に小さくつまらないものなのだろうか?


モノゴトの小さい、大きいじゃない


モノゴトの多い、少ないじゃない


縁があって

手にしている自分のものを

どれだけ大切にできるか


どれだけ愛をもって育んでいけるか


種から育て

風も嵐の日々も経て


そんな大切な日々とともに

その小さな花を愛おしく思える心こそが

ほかの誰も手にできない宝物なのである


その「ささやかな小さな愛」は

紛れもなく

自分の心を陽だまりのように温めてきたでしょう?


そう心に訊いてみる


豊かさは

量ではない


大きさでもない


そして

誰が知らなくたって

問題じゃない


心に

それに対する陽だまりのような

温もりをもった愛があれば

それは、大きさにも量にも勝るのである


神さまは

自分と自分の持っているものを

そんなふうに大切にする私たちに

もっと豊かさを注いでくれる


「つまらないもの」なんて、何一つない


ちっぽけなものなんて、何一つない


意味がないもの、なんて何一つない


比べようとしたから

それらが

ちっぽけだと誤解しただけのこと


小さくても


ちっぽけでも


足りないと感じていても


みんな、みんな大切な愛すべきもの


誰がわからなくても


この自分の人生のなかで

自分がわかっていれば

それでいいのだ


自分のなかの

そんな「ささやかさ」こそ

大切に育てよう


それは

紛れもなく

その人の人生における宝物なのだから


たとえ

ひとがそれを「ちっぽけ」だと評しても


それを持ってる私たちは大きな価値がある


自分が自分自身で

その大切さに気づき


心のなかで

ずっと大切に温め続けられるのなら


それは「大きさ」や「量」を超える大きな豊かさになるのだ


比べる必要はない


もし、比べることで心が苦しくなるのなら

そんなものはもう必要ないではないか?


比べることで

自分を苦しめたり

否定したりするのであるなら

それは人生に必要のないこと


自分だけの

ささやかなぬくもりと誇りを大切にしよう


それは決して

軽んじるようなものではない


比べることの不要さに気づき

自分の小さなささやかさを大切にしはじめると


「それでいいんだよ」


神さまは微笑んでくださるだろう