幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

祈る

優しい人でありたい


いい人でありたい


心穏やかで

人を傷つけず


なにも裁かず

いつも周りへ愛のまなざしを向けて


そんな人でありたい


それなのに


そんな自分がいる一方で


あることをきっかけに

誰かへの憎しみが生まれたりする


憎しみにとらわれて

時間を犠牲にする


どうして

心穏やかでいられないのだろう


自分は

ほんとうは

そんな人間になりたくない


なのに

憎しみを手放すことが

どうしてもできない


憎しみに

すべてを固く摑まれて

自由にならない


いつも心穏やかでありたいのに


いつも愛あふれる人でありたいのに


いつも同じことにつまづいて


同じようなことがきっかけになって


誰かを憎むことをやめられない


くりかえすパターン


くりかえされる「過ち」


それは

その人の

「魂の宿題」なのだそう


そんな自分が嫌でたまらないけど


だけど


それだけ

哀しかったんだ


それだけ

悔しかったんだ


それだけ

心をえぐられたんだ


ありのままの心の有様を見つめて

そんなふうに寄り添うのだ


そして


心に

愛が宿りそうになく


憎しみが止まらなくて


何もかもを否定しそうになるときは


祈るのだ


誰かの平和を


自分がすむ場所の平和を


この地球が住みよい場所になるように


祈りをこめて


愛をこめて


誰かの幸せを


そして

ほかでもない

自分の幸せをも


祈ることは


心に安らぎを呼び込む


祈りを捧げることで

すこしずつ

心に愛が戻り始めたら


感謝の心がいつの間にか

生まれるのだ


憎しみで

眠れないときは


憎しみに

そのまま踊らされて

溺れ続けるのではなく


祈る


祈ることによって

すこしずつ

もたらされた心の暖かさが


きっと

私たちに安らぎを

プレゼントしてくれる


祈ろう


心がかき乱されそうなときこそ


祈ろう


祈ることで

心に光が宿る


祈ることで

ほんとうの自分に戻ることができる


祈ることで

差し込む光で

奇跡がもたらされる


祈りながら

大嫌いだった自分が

好きになっていく


祈りながら

今日も一生懸命

生きた自分を抱きしめる


「許せない」と思ったら

人とふれあうことによって

なにかを許せない、という気持ちになるときがある


相手の仕打ちに

相手の考え方に

相手の行動に


なぜ、そんなことをするの?


なぜ、そんなことを言うの?


どうして、こうしてくれないの?


無意識のうちに

自分は

他人という相手に期待をしているのだろう


こうしてほしい

こうしてくれるはずだ

こうするべきだ


自分の「正しさ」の枠組みから

相手を見て


相手が不可解な反応や行動をとったときに

理解できなかったり

ショックを受けたり

腹をたてたりする


そのとき


じつは自分サイドでしか

ものごとを見ていないのかもしれない


一呼吸おいて


相手の立場

相手の側に

ちょっと視点を置き換えてみると


なぜ、相手がそのように行動したり、考えたのかもわかったりするのだ


何かが許せない自分は


いつまでもそのことに囚われて

まるで鎖でつながれてるかのように

苦しいもの


自分も相手も両方責めたりしているもの


許せない目でこの世界を見渡していると

とても苦しくて救いがない


それよりも


ちょっと視点をかえて

同じ出来事をとらえたり

見つめるのもいいかもしれない


そして


なにかを許せないときは

こう考えてみる


じつは

知らないうちに

自分も何かに許されているのかもしれない、と


自分も誰かに許されているのかもしれない、と


許されて

いま、ここにいる


許されて

いま、こうして生きている


そう考えたら


「許せない」と言って

凝り固まっていた気持ちがほぐれていく気がした


許せない、と苦しんでいる自分は

許されているのだと


ありのままを抱きしめる

わたしは旅をしている


わたしたちは旅をしている


人生という旅のなかで


それは

自分をほんとうの意味で愛し

受け入れていく「旅」だと言えよう


わたしは


わたしたちは


ほんとうのところ


今の自分を受け入れられないから

何かにつけて辛いのだろう


様々な場面で

自分が気に入らない


自分のことが気に入らない


自分のいる場所が気に入らない


だから

苦しくて

もっと良くしたい


自分から

自分の今いる場所から

ここから逃れたい、と感じてしまう


このままではだめで

逃れたくて

そして

今よりもっとよくなりたくて

昨日も

今日も

次の日も

その次の日も


毎日、毎日

努力を重ねているのに


心は満たされず

現実に満足がいかず

いつも

満たされたくて

心が枯れ続けているのだ


なぜなら

今の自分を受け入れ

認めることが

辛くてできないから


自分をさばき

自分の置かれているところをさばき

人をさばき


そうしているうちは

心に安らぎは訪れない


心は永遠に

満たされない


いま、それぞれの人生において

そのことに気がついて

自分を受け入れることの大切さを

知っていくときが訪れている


人生のなかで

ほんとうの意味で自分を愛し

自分を受け入れ

そしてそのことにより

幸せと安らぎを手にする旅を続けているのだ


もう


「ないもの」を追いかけて

自分をさばいて

苦しみ続けることは

出口のない迷路に迷い込んでいることなのだと気づいていい


今の自分を抱きしめよう


なんであっても


どうであっても


みっともなくても


何が出来て

何が出来ていなくても


いろんな自分がまぜこぜでも


それがありのまま、尊い自分と自分の人生なのだということを知ろう


受け入れて


ありのまま見つめて


それでもいいのだ、と

自分で認めて

ラクになって


そのことにより

心に安らぎが広がれば


見える景色が変わる


現実が変わる


光が差し始める


きっと、予想もつかないほど

安らぎと光に満ち足りた世界が目の前に広がるだろう


きっと幸せになれる


さばいて苦しむことを

すこしずつやめていきながら

すこしずつ受け入れていこう


ひとつひとつ

変わっていこう


幸せになろう


幸せになるのだ