幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

夜が明けるとき

人はここに生まれてくる前に

約束をしてくる


この世界で学ぶこと


この世界で自分がやりたいことをすること


もっと


自由になることを


生れてきてやるべきことは

ひとりひとり違うもの


みんなと同じじゃなくていい


同じじゃないことが悪いことでもなく


劣ってるわけでもなく


誰かよりいいとか

悪いとか

問うものでもない


そのやりたいこと、やるべきことに

気がついて

やろうとするときに


ひとは

恐れをいだいて躊躇したりする


なぜなら

そのことが人と違っていたり


世間一般的から外れていたり


同じことをやっている人と比べてみたときに

自分が劣ってみえたり


人から馬鹿にされるんじゃないかとか


批判されるんじゃないかとかをおそれて


「そのことをやらない」という安全な道に逃げようとする


生まれてくる前に

約束したことなのにもかかわらず


恐れて

逃げる道をえらぼうとする


そして

道に迷うのだ


自分はどこに行こうとしてるのか


何がしたいのか

わからなくなる


誰の人生なのだろう


自分の人生だ


紛れもなく

神さまから

この人生の切符をいただいて

自分の人生を生かさせてもらっている


なのに


約束を果たさなくて

どうするというのだ


この人生で

やりたいことをやるのだと

決めてきたことをやらずに


誰かの目を気にして


誰かのせいにして


踏み出すことをとどまる


誰の人生か?


紛れもなく

自分の人生を

いま生きているというのに


生かされているというのに


もっと自由に


誰かの真似ではない

「道なき道」をえらび

歩いていっていい


それが自分の人生なのであるならば

人と同じじゃなくていい


他人の評価は問題ではない


他人の真似も必要ない


思いのままに


やりたいことをやって


やりたいことを選んで

生きていけばいい


そのことをするために

ここに生まれた人生なのだから


誰かの目が気になっても


ほんとうの道は

誰にも邪魔されない


自分にとって

真実の道は


遮るものがなく

神さまに応援されている


自分にとって

真実の道ならば


やりたいことならば


たとえ

それが人からどのように評されようとも


貫くべき道であり


この人生で取り組むべきことなのだ


やりたいことをやろう


恐れずに


それが自分にとっての真実


もっと自由であることを知ろう


その自由を

いま、自分に許していこう


「正しさ」か「やさしさ」か

私たちは日々、様々なことを選択して

そのときそのときを費やし

山や谷を乗り越え

人生を歩みつづける


さまざまな場面で

どう行動するか

なにを選ぶかというときに


自分はいつも何を基準にしてきたのかを

自分の心に聴いてみる


そうすると

ことあるごとに

「正しさ」をものさしにして

物事を選んだり

行動を選んだりしてきたことが多い


それは多くの人が

やっていることかもしれない


「正しさ」とは

世間一般的に認められている

正しい考えや常識だったり


こうするのが効率がいいとか

得をするとかといった「正しさ」


自分の判断で

ものごとをジャッジする「正しさ」


正しさでもって

行動したり

ものごとを選んだときは

安心はするけれど


その代わりに

何かを抑えつけたり

何かを見ないようにしたり


実はほんとうはツラいのだということを

我慢していたりするのだ


正しさを選んだときは

それが正解であって

誰にも迷惑がかからず良いことであって

そうすべきなのだと思っている


なのに

そうすることによって

何か腑に落ちない思いを

心に隠していたり

本音を押し殺してしまっていたり


それを続けているうちに

自分でも意識しないうちに

疲れがたまっていたり

抑圧されたものがどんどん

心と体に溜まっていったりするのだ


「正しさ」は

誰かの機嫌を気にすることだったり

常識を最優先にすることだったりする


しかし

私たちはいつもそういった

理性的な「正しさ」を選ばなければならないロボットではない


その証拠に


「正しさ」を選びつづけた先に

疲れ果てて泣いている

本当の自分がいたりするのだ


心と体が音を上げて

声にならない声をあげて

訴えている


『ほんとうは

そうしたいわけじゃない』


『ほんとうは自分の本音を叶えたい、優先させたい』のだと



いま

私たちがすべきことは

「やさしさ」で選ぶこと


もっと

自分の本音を聴いて


我慢しないで


誰かの顔色ばかり気にしないで


休みたいときは

休んだり


断りたいときは

断ったり


やりたいことがあったら

それを優先したり


「すべきこと」よりも

「したいことをする」時間の方を増やしたり


ありのままをゆるしてあげること


もっともっと

自分にやさしくなっていい


理由のわからない不調や

心の行き詰まりは

「正しさ」ばかりを優先してきた結果かもしれない


もっと

自分にやさしくなることで

それらは

解放、そして回復へと向かっていく


だからもう

「正しさ」ばかりで

自分を縛らなくていいい


もっと

ペースを落としてもいいのだ


たとえ

「計画通り」にいかなくても

それはそれでいいことを認める


そして


がんじがらめになった

心と体を

やさしさで溶かしていくのだ


自分で自分に

やさしい言葉をかけてみよう


正しさが人生のすべてではない


もし

いままで

正しさでものごとを

選び続けてきて辛いのなら


これからは

「正しさ」よりも

「やさしさ」で

ものごとを選ぶことを増やしていこう


たとえ

進むのが遅くてもいいから


効率がわるくてもいいから

 

思うように進まなくてもいいから


「効率」ばかりを追いかける

ロボットにならなくていい


歩みの遅い回り道であっても

それが私たちのたどるべき人生の道筋であったりする


回り道のように思える

その時どきで

何かを知る必要があるからだ



魂の門出

満月の皆既月食があった昨日


昼下がりに散歩に出た


空から不意に雨が落ちてきて

同時に遠く雲間から

光が差し込み

地上に降り注いでいた


天使の梯子だ


雨が静かに

まるで

地を洗い流すかのように降り注ぐ


見上げると虹


こんなときは

天が何かを告げようとしているのだ


いつも

わたしをありのまま

包んで迎え入れてくれる

緑に囲まれた場所へと

足が向かう


いつの間にか


見慣れた木々も

遠くに見える山々も

赤く黄色く色づいている


道に迷いそうな

固く重く閉ざされた心を

そこへ預けていくように

歩みを進める


雨にぬれながら

空から太陽の光が

辺り一面を照らしていて


自然がつくる

とても美しい光景


心が洗われていく


背を向けたうしろの方で

一度消えた虹が

ふたたび

大きく半円を描いて

現れた


まるで

天のアーチのように


誰もいない


そこには

空の光と

雨と

雨に濡れた美しい木々だけが

わたしを迎えていた


風が吹き

大きな木が

ザワっと音をたてる


『さあ、ごらん』


『あなたのために

今から美しい贈り物をあげよう』


木々たちは囁いた


目の前に続いていく道が

光に照らされて

キラキラと輝いている


こんなに美しい場所が

ここに現れる


『あなたの道は

光に包まれていますよ』


こんな声が聴こえてきた


あなたは

この道を進むのです


どこを通っても構わない


あなたの好きな道でいい


まっすぐでなくていい


右を通っても

左を通っても


曲がりたくなったら

そこで曲がってみてもいい


なにも咎めない


だれも邪魔しない


あなたの心のままに進みなさい


その進む道は

すべてが光の道


隠れてないで


怖がらないで


あなたを待つ人のために

ここから出て

あなたを表現するのです


雲間から

スポットライトのように

光が自分に向けられていた


誰もいない


でも

わたしは

辺りを見渡しながら

一礼をして


その光に敬意を払い

光に照らされた道を歩き始めてみる


足元をみつめながら

ゆっくりと


光の道


どこを通っても

ほんとうの行きたい場所へ

たどり着けるのだ


心のままに


いま、古い殻を脱ぎ捨てて


それは


誰に命じられた道でもなく


誰が認めた道でもない


かたちに囚われた道でもなく


この自分が

心のままに進む道


わたしだけの

わたしが選ぶべき道


魂が望んだ

ほんとうのわたしの道