幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

夏の日射し

爽やかな夏のような日

日射しが輝いている


わけもなく、君に会えそうな予感がして

心がひだまりのように暖かい


緑の爽やかな風がやさしく街路樹を揺らす中

キラキラ輝く午後の日射しを受けながら

君がこちらに歩いてくる様子が目に浮かぶ

見馴れたいつもの道を

歩いてこちらに向かってくる


君にとって久しぶりの懐かしいこの街に

君はふたたび降り立つのだ


姿を見つけ、優しげに微笑みながら

光を受けてこちらへ歩いてくる


いつもの風景のなかに

ここに君が現れてくれる

素敵な奇跡を静かに待ちながら

そんな光景を思い浮かべる


この幸せな時間のなかで

君のことを考える


君がここにいてくれれば

もう、やみくもになにかを探したり

なにかを補おうとしなくてもいいのかもしれない


そう

もう探す必要はないのだ


いま、ここに君はいないが

遠く離れた街で暮らしている


いま、確かにこの世界のどこかで生きている

同じ時を刻み、ここで生きている


きっといつかまた会える


また会えるだろう


今は、君の姿を近くに探すことはできないが

君がこの世界にいる


確かにいるのだ


遠く離れた街で過ごす

君のもとにも

この夏の光は届いている


君をやさしく包む柔らかい日射しに

君を守るように祈ろう


離れていても

君を感じることができる

いま、生きている君を

感じることができる


君に尋ねたい


いま何を見つめ、どこに向かって進もうとしているのか


このときのなかで、何を目指していくのか


君のもとにも

いま、こうして、刻々と

夏はやってくる

引き継いだものを大切に

なんて美しい五月晴れの日だろう

なにもかもが光輝いて

夏へと向かっている


過ぎた日々に、悲しい別れがあったことも

嘘のように感じる眩い午後の日射し


いつか問いかけたことがあった

そばにいたいのに

引きとどめたいのに

どうして別れはあるのか?と


どうしてこんなに悲しい思いをするのかと

引き離されて、それから

一体何をすればいいのか

一体何を目的にすればいいのか

一体何を拠り所に生きていくのか


愛すべきものが、ここにないのに

遠く離れてしまったのに


なぜ

この世界にはこんな思いをする人が絶えないのか

どうすればいいのか

どうすれば悲しみは癒えるのか

どうすればなくした日々に代わる日々を取り戻すことができるのか


こんな言葉が浮かんだ


別れたその人から引き継いだものは何なのか


その引き継いだもの、得たものを大切にあたため

これからの人生の糧とする


別れた人から引き継いだもの


それはこの世に生まれることができたこの命だったり


受け取った愛だったり


共に過ごした楽しい日々の経験だったり


その人が教えてくれたこと

その人から教わったこと


それらすべてが

その人からもたらされた大切な財産であり

きっと出会ったことの意味なのだ


その人から優しさを受け取ったら

これから、自分も誰かに優しさを贈れる


その人から強さを学んだら

これから自分もそういう人間であるようにしたい


その人との別れがあっても

人生は続いている


生きて進んでいかなければならない

そして

生かされているのだ


それはこれからも「すべきこと」があるからだと思う


その人から得た、引き継いだすべては「糧」


その人が残した「糧」を自分のものにして

自らの力に変え、進んでいく

その先の命をつなぐ

人生をまっとうする


別れがあったことをいつまでも悲しむことを選ぶのか


人との出会いは

そのためにあるのではない


出会いは糧


出会いは財産


得難い財産


その人から受け取ったこと

その人との時間のなかで学んだことを

これからの人生で生かすのだ


教えてもらった素晴らしさを自分のものとし、活用していく


悲しみは癒せる


これからの日々は悲しむためにあるのではない

これからの日々は悔やむためにあるのではない


だから、楽しく、笑って、「今」を生きることを選ぶ


そのために

いま、ここに命がある

命は続いている


生きる喜びの道を選ぶのだ


季節は夏へとまっしぐらに向かっている

いつも自分を整える

なんとなく調子がのらない

現実の生活の中でそう感じていることが多い

心の模様だったり

身体の調子だったり


それは、心と身体からのメッセージなのだそうだ


なんとなく、調子がのらないとき

どう対処したらよいのか気がつけなかったり

時間がないからと

その場しのぎで

「埋め合わせ的」な行為で

その調子悪さを解消しようとする


たとえば

気分を揚げようと

賑やかなところへ外出してみたり

誰かと会って、気を紛らわせたり

やみくもに、何か欲しいものを買ってみたり


なにかを自分自身へ「補充しよう」という行為だ


しかし、そんなことをやり続けても

原因のつかめない不調は取れず

根本的に解消しないときが殆どだ


それはやはり

心と身体

自分の基本を整えることを無視して

ただ、いたずらに何かを獲得することによって不調を解消しようと焦っているだけなのだ


自分以外の何かに頼って

解消するのではなく

「自分の持ち物」を整えよう


自分の基本の持ち物とは

心と身体だ


いま、どうすれば

この心と身体が気持ちがよくなるか?

心と身体はどうして欲しいと訴えているのか?

静かにこの自分自身の声に聴いてみるといいのだという


身体を休ませる

自然のなかに出掛けて心を静める

身体に優しい食べ物を

時間をかけてゆっくりと、味わう

ただ、静かに呼吸をする

いま、ここにいる自分を感じる

ゆっくりと動く


「ゆっくりと時間をかける」というのが大切だ


何か動作をするとき

ゆっくりと

身体を労るような気持ちで

身体を動かすというのもいいらしい

「いつも働いてくれてありがとう」

声に出して、そう身体に言ってみる


出来る限りでいい


立ち止まることや

小休止を自分へ許そう


もしかしたら

心と身体はいつも時間に追われ、何かに急き立てられ続け

休息と充電が欲しかったのかもしれないから


お金をかけて、何かを求めて

解消しようとせずに

自分以外のなにかで埋め合わせようとせずに

調子がのらないときは

自分自身の基本を整えることをしてみよう


いつもそのことに還ろう


何かが乱れたと感じたら

いつもそこから始めるのだ


自分自身が整えば

いつでも、いつからでも必要なエネルギーが湧きだす


整った新しい景色が広がれば

心も身体も自然に弾む


そこには、新たな素晴らしい出会いがあるかもしれない