幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

自分も自分の居場所もOK!

天使または昨今のメンタルヘルス的な分野の本で語られているのは、自分を肯定することの大切さだ。

これが生きる上での大前提なんだなあと感じる。

自分または自分を取り巻く全てのものが、OK(^_^)bだったら心地よくて、この上なく幸せだろう。

それが出来なくって、逃げ回っている。

つまり、自分、ありのままの自分が嫌いで認めたくないから、自分以外のものになろうとする。ほんとの自分を押し殺して虚勢を張ってみたり。

自分のいるところが退屈で仕方ない、またはウンザリするなどの理由でどこかへ逃げたくなる。

遠くへ行きたい症候群?

休日は家にいたくないから、常にどこか刺激をもとめ、出かけていく。

または遠く海外へ旅行する。夢の世界へ自分を連れて行く。



旅行は別に現実逃避だけが理由ではないが、帰ってきたあとに、ああ刺激を受けて面白かったと前向きな気持ちの後味になるか、ああ、帰りたくない、またあのウンザリするところに帰るのかという帰りたくない病になるか(笑)…。


でも、どこか別のところへ行かなければ、癒されないとかだとちょっと悲しい。

むかし、自分の家が一番好きで、休日は出掛けずに家で過ごすのが幸せ、と言う人を見て、とても羨ましいと思った。

その人は初めからいい環境に恵まれたから、なんて思っていた。

私には無理。だってそんな環境与えられてないから。

なんて、誰かや環境のせいにして。

だから、遠くアイルランドに旅行したこともあった。

でもそのアイルランド旅行はバス酔いしたりで気分的には最悪だった。。(アイルランドそのものは心地良く美しい国でまた訪れなおしたい…)

体はよその土地へ逃げても全否定の自分は着いてくる。バス酔いしたり、当時はなんだか心が満たされず空虚だったので、自然美溢れた美しい光景を目の前にして心は沈んでいた(T_T)。


結局、自分と自分がいる場所が申し分なければ、なんにも苦しまないのだ。


長々前置き?が長くなったが

自分の住んでいる家を聖地にする!ということが書いている本を見た。

かといって、自分の理想どおり完璧な家!をいきなり、目指したら、条件が満たされなさすぎて即刻挫折するだろう(-.-#)。


まずは要らないものを少しずつ捨てたり。

好きな心地良いものをできる限り身の回りに置いて。

好きな花柄のクッションやカーテン。ナチュラルな温もりの家具や雑貨。季節に咲く野の花なんかを組み合わせて生けたり…。


家を心地良い形に少しずつ近づけていく。

家が一番!家にいると落ち着く!リフレッシュできる…というレベルまで持っていけるように。

自分の家を聖地に。

天使も自分だけの祭壇を創りなさい、と提案している。

祭壇というと、いささか別な意味にも捉えられそうだが、

要するに心がリフレッシュする空間づくりということだ。


自分再生、自分の居場所再建で私はなんだかワクワクしている。


焦らず、完璧にこだわらずに。


もう遠くへ逃げていく必要がないように。


楽観すれば思いどおり。

今日もたくさんのエンジェルナンバーを見た。

エンジェルナンバーはぞろ目とは限らない。主に3ケタの数字の並びだが、あまりにも何度も同じ数字を見るので、これは明らかにメッセージだと気づく。

それくらい、天使は必死で私に伝えたいのだろうか。

今日のエンジェルナンバーを見て、いま、感じていること。


人生を良くすること。

願いはなんであってもいい。

お金持ちになりたい。

健康になりたい。

素敵な人たちとつきあいたい。(恋人、パートナー、友人なんでも)

一つ一つ挙げたら、切りがないが、とにもかくにもその全てが『豊かになる』ことだと言えよう。


豊かになるには、楽観すること。

これに尽きる。

今までは

豊かになりたい。

だから、どうすれば豊かになるのか考える。

考えてるうちに、本当に豊かになれるのか→豊かになれなかったらどうしよう。。。と心配バージョンの思考へと転じていく。

これかお決まりのパターン。

または、豊かとはどういうことだろう、と思い。

あれがあって、これがあって、それも持っていること。

自分にはどれもない。→自分は○○が不足している→自分は負け組。。。

と、これまた欠乏の思考バージョンへ転じる。


これらの考え方を繰り返しているうちは豊かさは訪れない。永遠に。


こうなりたい!望むことだけ思う。心配しそうになってきたら、私は思考をストップします。一時停止ボタンを押すように。

あとは、天使が言うようにそれら心配を手放します。

心配がいっぱい詰まったトランクを置いて、その場を立ち去るかのように。


それたけでも気持ちがとても軽くなる。心配なんか始めからなかったように。


それがいいのです。思考の中で起きることが現実となるようです。


いろいろな方の引き寄せの教えを本で学ばせていただいたが、何か願望があれば、あたかもそれが実現したかのように振る舞うといいそうだ。

その臨場感の実感の思いこそが実現への扉となる。

その意味でのエンジェルナンバー616を度々見る。

楽観すれば思い通りになる。


あれこれ頭を痛めて苦慮して幸せを探さなくてもいいなんて、とても気が楽になる。

この新しい考え方をそんなことと、と一掃するのはもったいない。


楽して幸せには、なれない、

は、今までの固定観念。


これからは


楽して幸せになる。

である。


これは怠けるということではない。


憂いや心配、悲観を全てやめることなのである。


トウモロコシを茹でる

スーパーに山積みで売られている生のトウモロコシを発見♪

わざわざ茹でるのは少々手間暇かかるのに。

懐かしくて、買って、久しぶりに茹でてみた。



大地の栄養成分がギュッと詰まった天然のおやつ。

子供の頃、夏といえば畑から穫ってきたトウモロコシを茹でてもらって、おやつのように食べたなあ。

今も変わらない蝉の声をBGMに。

その季節にその季節ならではの旬のものを食べるのは気持ちいい。


今は季節を問わずいつでもなんでも手に入る時代だけど、旬のものは本来なら今が本番の出番。

「便利、快適」も今の世の中には欠かせないことなのだけれど。

その季節を待って、実りに実ったものをいただくのも格別だ。


スピードや便利時代に慣れている私たちは物事が早く成就しないと焦りを感じてしまう。

つい、早く結果を出すことにこだわってしまう。


「速く、いつでも、今すぐに」が求められる。


コンビニエンスな世の中は快適でそれによって、恩恵も預かっている。

しかし、その流れにドップリ浸かって、スピードと効率重視な空気に、時折ついていけず、息切れしてしまうのも事実だ。


かといって、どちらかを否定してどちらかが絶対ということでもない。

ものごとには良い面も悪い面もある。


その中間に立って、バランスを取ることなのだろうか。


ついスピードを求めて焦ってしまう自分に言い聞かせる。


良いものが出来上がるには時間をかけることも必要、だったよね。遠回りでも。


トウモロコシが茹で上がるまでの時間を、まず一呼吸置いて、楽しみに待つ。