一人ぼっちの人などいない
地元の河川敷でトロッコ流しがあった。
人々が見守るなか、風のない川面に沢山の御霊をのせた灯籠がゆっくり、ゆっくり、流れていく。
一つ一つの灯籠が美しい光の天の川のよう。
この世の中の社会で毎日、あくせくと目の前のことに夢中になっていると大切なことを忘れてしまう。
謙虚な気持ち。有り難いな、と思う感謝の気持ちとか。
目の前の現実しか見えなくなるのだ。
目の前の現実をなんとか思い通りにしたくて、躍起になって。そして傲慢な気持ちになっていく。
全てをコントロールしようとして、毎日がんじがらめ。
お盆は御先祖さまを近くに感じる大切なひととき。
この世のひともあの世のひともみんな、心で繋がっているのだ。
だから、姿が見えないからといって、その存在がいなくなってしまったわけではない。
私たちは目にみえないことを軽視しがちだ。
そして、形にばかりこだわる。
目にみえないものは存在自体を否定しがちだ。
大切なのは心なのだ。
本当に誰かを思ってやった行い、それは真っ直ぐと相手に通じるものです。
形では満足出来ないものだとしても。
真心は真っ直ぐに相手に通じます。
御先祖さまを供養する気持ちもそう。
私たちは「1人ぽっちだな」って、寂しい気持ちになるときもあるけど。
そうじゃない。
たった1人で生まれてきたわけじゃない。
だから1人でなんでもコントロールしてやり遂げられるなんて考えは幻想にすぎない。
私たちは繋がり合って、分かち合って生かされているのだ。
その事実を感じれば
反目し合ったり
全てを思いのままにしようとしたり
孤独になったり
そんなふうになることは自然となくなるだろう。
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