幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

私たちは機械じゃない

私たちは、なにものかによって、なんらかの義務や責任を課せられている。

そして、そのレベルも問われている

〇〇でなければならない

常に、上を目指し、完璧でなければならなかったり

誰かの期待に応えるためだったり

もしくは、自分でこうでなければならない、と思い込んでいたり

様々な焦りや苦しみを抱え、毎日を重荷を背負って生きている

それがこの世の中では当たり前のことだと思って生きている

苦しいのは当たり前

だから堪え忍ぶことも当たり前

当たり前という前提で自分の本音を押し殺して生きている


本当はしんどい

本当はツラい

でも我慢するのが、「当たり前」だから


毎日、毎日、「完璧」を目指す

完璧に役割をこなすこと

完璧に仕事をこなすこと

感情を押し殺して

どんなときにも「完璧」を追い求め

完璧でなければならないという、「義務」と「責任」に知らず知らず心を磨り減らしている


なのに

こなしても、こなしても完璧にはたどり着けていない、と感じる


私たちは機械じゃない


人間らしさを失ってまで

完璧を目指すことに

なんの意味があるのか


いったい、誰に完璧を強いられてるというのだ


誰かの期待?


神様の期待?


それは、「完璧でなければ許されない」という恐れの心


完璧になるために修行をしているとか


苦行を行うことが立派なこと、課せられた責任なのだという価値観


神様は

私たち人間に、人間らしさを失ってまで、苦しんで、完璧を目指すことことなど強いていない

そんな責任を人間に課してはいない


もし、そんな重荷を背負わされているのだとしたら


誰かのエゴに応えるためだったり

誤った正義感、思い込みに過ぎないのだ


私たちは機械じゃない


心の声を聴こう


度を越した義務と責任から、解放されてもいい


私たちは機械じゃない


心の声に従い、自分自身の自然体のリズムを取り戻そう


人間らしくあることが

本来のあるべき姿

たとえ、いびつでも

不完全でも


持ち過ぎてしまった重荷から

もう解放されてもいい。