幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

ランク付けの価値観

世の中は大体においてランク付けがされている。

ある部門の1位だとか金賞だとか


それがもっとも権威と価値があるとされ、誰もが手にしたい


学校の成績や学校自体のランク付け。

会社のランク付け。

すべてに順位が決められていて

それがあらゆる人の共通認識にされていて

それを手にできることが、人生において、その道を極めることにおいて、最も重要なことと考えられたりする。


何かに取り組んでいて、その道を極めるためには、その世界の上位を目指すことが動機付けとなり、原動力になる。


でも、ときに順位なんて、僅差の時がある。

その僅かな違いで、ある人が一位で、ある人が二位に位置付けられ

格付けという価値観で見れば、この両者は大きく違ってしまう。

実際のところ、能力の差なんてそれほど変わらない。

なのに、気持ちのうえでは一位の人は自分の能力を肯定的に評価して

場合によっては、二位の人は同じくらい能力があっても否定的に自分を評価することになる。


この分かれ目は

ランク付けが全てという考え方に捕らわれている結果だ。


ランク付けを肯定的に自分に取り入れるのは良いかもしれないが

大体において、その「敗者」は否定的になる。


人生において、このような「負けた経験」をずっと引きずる人だっているのだ。


そして、その道を諦めたりもする


能力があるのに

この、否定的な気持ちひとつのためにだ。


能力のランク付けだけじゃない。


愛情の面でだってそうだろう。


人は誰もが愛されたい。誰かにとっての一番になりたい。

そこでもランク付けがされていると


自分はいつも誰かにとっての二番や三番…

そんなふうに感じる経験を重ねれば

その人は、自分がいつも「敗者」であるという意識をどこかで隠し持ちながら、生き続けていくことになる。

平静を装いながらも心は傷ついている。


人はそういったものに、一喜一憂して人生を送る。


でも、何かのきっかけで、それがすべてではないことに気づくこともできる。


ランク付けの価値観の犠牲になることはない。


なぜなら、全ての人に価値も能力も宿っているから

それが紛れもない事実だからだ。


ずっと、そのランク付けの価値観に縛られ続けていた自分に、天使が改めてそう教えてくれた。


ランク付けしたのは、人間だ

ランク付けはときに都合がよい

でも、それは王位は優れて、それ以下は劣るといった感情が少なからずもたらされる。

そういう価値観を持ったまま、健やかな気持を保てるか?


王位を手にできず、自分は所詮、二流だ、三流だと思いながら、自分で自分の価値を過小評価しながら、生き続けていくことが、果たして健やかだといえるか?


能力があるのに、価値があるのにもかかわらず

順位を意識して、能力が劣っているという判定をくだしてしまう

自分を見下してしまうのだ


競争が生まれる

奪い合い、憎み合い

ゆがんだ社会


本当は誰もがそんな世界にはいたくない


どんな自分でも価値がある、と思っていい。


いや、そう思うべきなのだ。


そう思うことは自画自賛のエゴではない。


自分自身に愛情を持つということなのだ


比べて、判別することを止めれば

気持ちを腐らせることなく、健やかに向上していける


しかも

肯定的な思いを心に持てば

肯定的な現実がもたらされる


三流だと思い続け、自分に蓋をしていれば、そういう現実しかやってこない


優れた力、豊かさ


本来、自然に素直に

自分が欲するものを、自らの心の持ち方を変えることによって引き寄せよう。