うまくいかなくてもいいのだから
上手にできなくて
いつものように
あいかわらずため息をつきながらも
今日も生きている
それでも暖かな昼下がりの日差しが
今日も変わらずに
自分の身をあたたかく照らし
包んでいる
その陽射しの
光が差す方を
かなしげに見つめた
上手にできない自分を
いつも責め続けてきた
そうしても
苦しいだけだとわかっていても
それを止めることができない
物心ついたときから
その気持ちは無意識に起こり
いつの間にか根強く
そう思い込む癖がついていったのだろう
生きていくなかで
学校や職場だったり
そこに所属した社会のなかで
たくさんの人と関わり続ける
そのなかで切磋琢磨して
得るものもたくさんあるのだが
その一方で
そのとき関わった人
隣り合わせた人と
無意識に自分をくらべるようになる
自分はこの人よりもここができない
自分はあの人よりもこのことが遅い
誰かと自分をくらべ
劣っていることに否定的になる
自分はこのことがなかなかできない
いつまでも上手になれない
自分の心のなかには
いつの間にか
ジャッジマンが隣にいて
いつもなにかにつけ
チクチク横で責め立てている
『どうしてできないの?』
『まだできないの?』
その言葉が心のなかに響き渡ると
心も身体も硬直していった
一生懸命やっているのに
クリアできないことがあって
いつもおなじことでつまづき
おなじところで足踏みをしている
解決策が見つからなかったり
状況が変わらなかったり
あれこれ手を尽くしても
うまくいかなかったり
満足いかなかったり
うまくいかないときが長すぎると
頑張っても無駄なんじゃないかと
あきらめてしまうものだ
あきらめたほうが葛藤しなくて済むから
くやしかったことに
苦い思いに蓋をして
何食わぬ顔で毎日を過ごす
なのに時折
なにかをきっかけにこの苦い思いが
心のなかに浮上してくる
どうして
いつまでたっても
うまくできないのだろう…
叶わないのだろう
いつまでたっても
オーダーした
食べたい料理が目の前に
運ばれてこない
そんな悔しさや哀しさは
消えたようにしてまた浮かび上がる
蓋をしていただけだから
かなしげに暖かい陽射しを見つめる
だけど
今日も生きている
今日も一生懸命
気持ちが落ちても
だけどやっぱり
前を向こうとする自分
昨日とそれほどは変わっていない
でも
あきらめてはいけない気がして
前を向いて進み直そうとする自分が
心のなかに戻って来る
となりに
いつも横でチクチク責めていた
ジャッジマンが現れた
一つだけ今までと違うのは
今日はいつものように
トゲトゲしてはいない
『もうきみを責めないよ』
『そんな君もこれからはここに居ていいから
一緒に生きていこう』
いつものジャッジマンが手を差し出してくる
ジャッジマンが自分の手を取って
不器用な自分に歩幅をあわせ
ここからは一緒に歩いて行こうと
言って
微笑んでいる
自分で、自分を責めてしまったら
自分はどこへも逃げられないのだ
ほんとうは
うまくいかなくて傷ついた自分を
なぐさめてもらいたい
責められるのではなく、わかってもらいたい
私たちは
わかってもらえると心が安らぎ
心が落ち着く
うまくやりたくて必死なのに
どうしてもできなくて哀しかったんだよね
叶えたかったんだよね
自分に寄り添えるのは、自分
自分と和解し
友だちになり始めた日
暖かい午後の秋の陽射しを身に受けながら
硬くなっていた心と身体が
やさしくほぐれはじめる
あのとき
一緒にいた相手に
わかってくれないと怒りにふるえた
寄り添ってくれないと
凍えるように涙した
なぜ認めてくれないのと
悔しがった
自分のなかで
ときどき暴れる馬をなだめることもできず
いつも不器用にしか振る舞えない
自分を何度も見損なおうとした
ほんとうは誰にわかってもらいたかったのだろう
あのとき
ほんとうは誰に
寄り添ってもらいたかったのだろう
それは
そうしてくれなかった
その誰かではないのかもしれない
ほんとうは
自分にわかってもらいたかった
それでいいから
一緒に行こうと
やさしく言ってもらいたかったのかもしれない
前に進むために
それは必要なのだ
ジャッジせず
ありのままの自分のままで
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