歩みつづけた先に
3月11日の今日に思うこと
何かを失ったことを知れば
人は悲しみにうちひしがれる
それが目の前から消えてしまうからだ
あたりまえのように
そこにあったものが
かんがえる間もなく
突如、消えてしまったら
悲しみが癒えるのには
とても時間を要するものだ
だから
失うまいと
必死になって
つなぎとめようとしたり
なぜ
失ってしまったのか
原因を探ったり
なにが
いけなかったのか
一生懸命
反省をしたり、責めたり
しかし
失ってしまったものとの
この世界での縁はそこで終わったとしても
この世界には
いつも「次」があることを
おぼえておこう
失って
なにもかも終わりなのではない、ということだ
何かを失っても
そこで終わってしまうのでは
決してない
「つぎ」があるのだ
神さまは
その人にかならず「つぎ」なるものを与えてくださる
だから
そこで諦めずに
「つぎ」にたどり着くために
歩みつづけることだ
たとえ
どんなに辛くても
神さまはあなたの気持ちを知っている
辛くても
神さまが見ているのだから
歩き続けていこう
歩き続けた先には
かならず光が待っていることを
つよく、つよく
信じて
大丈夫だ
神さまはいう
あなたはなにも失うことはない
あなたが心配するように
この世界は
あなたを見捨てることはないのだ
「つぎ」はかならず与えられる
まだ何もわからなくても
まだ何も見えていなくても
「つぎ」はかならず用意されている
歩き続ければ
景色がかわり
やがて
目の前に光が射してくる
そのとき
心は癒され
深い悲しみはいつしか消えているだろう
あきらめないことだ
どんなに
なにもかもが
信じられないとしても
わたしたちは
すべてを失うことなど
決してないのだから
安心していよう
神さまは
わたしたちに
これからもずっと
変わることなく
新しいなにかを
与え続けてくれるのだから
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