幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

どちらを選ぶ?

幸せになりたいのに


幸せになりたいと思いながら

日々「努力」を重ねてきたのにも関わらず


それが歩いても歩いても

届かない日々が長く続くと

本来抱いていた気持ちが失われてしまう


そして、色々な疑念も浮かぶ


幸せになりたいのに


どうせ無理とか

自分なんか、とか

気がつけばそんな言葉を選んでいることに気づく


どうにもならないに決まってる、と決めつけたり

自暴自棄になる


苦しみが長く続くと

幸せになれることを疑ったり

幸せの実感が湧かなかったり


自分が本当に望んでいることがわからなくなるものだ


それくらい

自分の心を痛め付ける方向に長い間進んできていた、ということ


素直に

喜ぶこと

素直に

幸せを受けとることを拒んだり


難しい顔をしながら

生きる意味を考えたり


でも

それがいいことだと思って

そんなことをくる日もくる日も続けて

何も答えは出なかった


答えが出ないことに気づいたのだ


どうして

頭で難しく考えてばかりいるのだろう


存在価値とか


生きる目的とか


そう

ただ、喜びのために生きる気持ちを忘れているのだ


苦しまなければ、ものごとを得られないだとか

簡単には幸せになれないとか


豊かさを得ることが

こんなにも大変に思えてくる


誰かの役に立たなければ

喜ばれなければ

存在する意味がないだとか


自分をころして犠牲になることが

美しいことだとか

評価されることだとか

立派なことだとか


それは一体、なに…?


そんなことを目標にしながら


いつも

ありのままの自分に腹をたてていたのである


そして

そのために

ちっとも幸せを感じられなかった


立派でなければいけない、とか

間違いがあってはいけない、とか

自分自身を縛りに縛って

一歩も動けないようにして

責めて責めぬいて

その結果

無力感にさいなまれている


自分を責めて

そして

怒ってばかりいる自分

そんな自分が

ますます嫌いになる


気がついたら

何がしたいのか

何が欲しいのか

わからなくなっている自分がここにいる


のびやかさと素直さを

すっかり失っていたのである


そう

取り戻したいのは

ここに取り戻したいのは


欲しいのは


生き生きと

喜びをもって日々を生きる

自分なのである


どちらを選ぶ?


今までのように

自分自身を裁いてばかりいくことなのか


それが

本当に幸せへと続く道なのか?

考えなのか?


それとも

ありのままを

認めて

そして

許して

生きる喜びを取り戻していくのか


何が好き


何が好きだったのかを思い出したり


本当は、何がしたかったのかを思い出したり


どちらを選ぶ?


どちらが幸せ?


それは

自分の心がよく知っている


答えは

いつも難しくはない


答えは

いつもシンプルなのだ


ただ素直に

自分が望んでいることに

従えばいいだけなのだ