あすという日が
5年前の今日
被災地で開かれたコンサート会場にいた
「あすという日が」という合唱曲を聴いた
心に染みる歌詞
この歌詞のように、明日がいい日であるように、と切に願っていた
あのとき、手に入らないとわかったいたものを追いかけ、すがり、泣いていた
手のなかをすりぬけていくものに追いすがった
哀しくて、切なくて
この哀しみはどこまで続くのだろう、と思っていた
こんな気持ちが嘘のように消え去り、希望に満ち、笑っている自分がいる明日というものに憧れた
この歌詞のように
『いま生きていること
いっしょうけんめい、生きること
なんて、なんて、すばらしい
あすという日がある限り
しあわせを信じて』
いっしょうけんめい、前を向いて歩き続けていったら
必ず、そんなしあわせな明日がくるだろう
そんなふうに、心の片隅で確信していた
そして、あの日から
一歩、また一歩
毎日、移り変わる景色を見ながら
一歩、一歩、長い道のりを
今日まで歩んできたのだ
あのときから
かなり遠くまで歩き抜いてきたのだ
いろいろな人たちに
たくさん、支えてもらいながら
そばにいてもらいながら
そして、自分に聞いてみる
いまの自分はどう?
うん
あの頃、望んで憧れていた自分、そして「あす」にかなり近づいてきたみたい
頑張ったよね
自分を誉めてあげたい
認めてあげたい
ほんとうに
こんな日が来るのだ
こんなふうに思えるしあわせな日が
歩き続けてよかった
歩き続けるべきなんだ
そして
わたしには今日も希望に満ちた「あす」がある
『あすという日がくるかぎり
自分を信じて』
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