幸せへの扉

繰り返し目にする数字パターン。これはいったい何を意味するのだろう。それが自分を導くエンジェルナンバーの存在に気づくきっかけだった。
その数字の意味を調べはじめたら、それは全てが今の自分へのメッセージだった。天使は少し前を歩きながら、道を示す。迷いそうになったら諭し、寂しくなったら愛のこもった言葉で励ます。始めからずっとそばにいてくれたのだ。すべての人のそばに。

苦しみを手放す

独りきりで心をコントロールしようとしていると

すかさず天使がみかねて

エンジェルナンバーを示す

まるでエンジェルナンバーのラッシュのように

行く先々で、伝えたい言葉を数字に託して投げかけてくる

車のナンバーだったり、店で売っているものの値段だったり

そういったもので、同一の意味をもつエンジェルナンバーを次々に示してくる


彼らの溢れんばかりのメッセージの思いに「ああ、見守られているのだった」と改めて思い出し、心の緊張が解けていく


心をコントロールすることは難しい


自分に関わる否定的なものに向き合うとき

苦しさだっり、虚しさだっり、悲しさだったり、いろいろ。


平常心をキープするのは難しいことだ


加えて、心が乱れて当然なのに、それをいけないこととして、押し込めようとする

平常心を無理に保とうと努めたりする

だが、そうすればするほど、否定的な感情は大きくなってしまうというパターンだ


そんなとき、天使は

「独りで闘わないでください」と言ってくれる


「どんなことでも、否定的な思いに包まれて苦しくなったら、すぐに声をかけて」

「私たちにその否定的なものをすべて預けて」

と言ってくれる


自分のなかにある否定的なものと向き合って闘うとき

それは大抵はうまくいかない


疲弊しきった心は

それを埋めるものを無意識に探す

一時的に気持ちを満たすものを心の拠り所としてしまうのだ

ひいてはそれに執着し、手放せなくなる


執着するものの対象は、大抵は物質的なものだ


人によって様々だが、一例をあげれば

お酒やタバコなど嗜好品を止まることなく摂取したり

あるいは、買い物依存

あるいは、偶像崇拝

架空でも現実でも、夢中になる対象の人物へ執着して、のめり込む…etc.


これらはすべて、物質的なものに対する執着心だ

それらに接したり、得ようとしているときは確かに気持ちが満たされるかもしれない

しかし、それは本当に求めるべきものではないことを、私たちは心のどこかで知っている


自分のなかの苦しみを解消できずに

一時的に夢中になるものに、身も心も投じて、ごまかそうとしているのだ

でもそれらはどんなに追いかけても、求めても充足感は得られないのが特徴だ

だからこそ、止めることが出来ない


苦しさを紛らわすために飛び付いたものが、いつしか無くてはならないもののように執着し、それが生きる目的でもあるかのように錯覚してしまうのだ

執着することが、新しい苦しみを生む


執着の行く末は幸せではない

それらは、私たちを救ってはくれない

満たしてはくれない

満たされないまま、堕ちてしまうだけだ


何かに執着していると気づいたら

勇気をもって、それを自分の人生から裁ち切らなければならない


私たちの人生の生きる意味


それは、もっと別な次元のところにある

私たちが求めるもの、本当に満たされることは、もっと高い次元のところにあるのだ


それは、心の充足


心に愛のエネルギーが満ちることだ


苦しさを天使に預け

本当の道を導いてもらおう


『独りで闘わないで』


天使はそう言う


もしも、道がわからなくなって、途方に暮れても

どうしようもなくなっても

私たちには、幸いなことに、天使がそばにいてくれる


その天使に何もかもお願いしよう


天使に声をかけよう


苦し紛れに執着したくなったら、深呼吸をして


『それは私の求めるものではない』


強く言い放とう


天使を呼び出し、この「重荷」を持ち去ってもらおう


天使に頼ることは、「執着」「依存」することとは違う


自分の人生を良くしていこうと決心するのは、他ならぬ自分自身だ


そのうえで、自らの人生を改善するために

天使の暖かく、そして力強い「協力」を受け入れるのだ

私たちと天使は、自らの人生を創っていくチームメートだ。彼らのサポートをことあるごとに得て、一丸となって、自分の人生を癒し、向上していくことができる


苦しいときは思い出そう

力強いサポーターが存在することを


天使がそう教えてくれている